残念ながら、外房の海岸沿いを周遊する最初の車道がいつ開通したのかという記録にはお目にかかれていないが、おおむね明治10年代には「房総東往還」が完成したようである。 その後は、道路の開発を鉄道が追いかける形をベースに推移するのであるが、明治43年に勝浦~鴨川間に乗合馬車が運行されたという記録は重要なものであろう。 この時点では間違いなく「おせんころがし」を通過する車道が開通していたことになるからだ。 続いて、今回紹介する区間の歴代地形図を見ていこう。 上図は、ここを描いたものとしては最古の5万図である明治35年版である。 既に「府県道」のはっきりした線で、海岸沿いの道が描かれている。 そのルートは、西側の「小湊」から隧道を抜けて海岸線へ出て、郡境を越えて大沢へ、さらに浜行川(なめかわ)へと至るルートである。 『外房総大沢の生活と民俗』という資料によれば、「おせんころがし」は「大沢から行川に向