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人生とインタビューに関するnonsectのブックマーク (4)

  • 閉店した大阪・都島のスナック「ブスの店 杏」の長い歴史をママに語ってもらった

    大阪在住のフリーライター。酒場めぐりと平日昼間の散歩が趣味。1,000円以内で楽しめることはだいたい大好きです。テクノラップバンド「チミドロ」のリーダーとしても活動しています。(動画インタビュー) 前の記事:買った袋麺をその場で作ってべていい「ラーメンコンビニ」スタイルの店が鶴橋にあった 「ブスの店 杏」はこんな店だった デイリーポータルZで過去に公開された記事に、尾張由晃さんの書いた「楽しいスナックブスの店」がある。 2012年公開の記事なのだが、尾張さんが同じくデイリーポータルZライターの小堀友樹さんと一緒にドキドキしながらこの店に入った時のことが詳しく書かれている。すごく楽しかった雰囲気が伝わってくる。 私が東京から大阪に引っ越してきたのはこの記事が公開されたもう少し後だったのだが、近所を歩いていたら、ひさしや看板に「ブスの店」と書いてある店があって驚いた。 お店の外観はこんな感じ

    閉店した大阪・都島のスナック「ブスの店 杏」の長い歴史をママに語ってもらった
    nonsect
    nonsect 2023/09/05
    え?ブスの店閉店したん?
  • 「脳梗塞になって、漫画家しか進む道がなくなった」――視野欠損で描き続ける決意 - Yahoo!ニュース

    山下和美さん(59歳)は『天才 柳沢教授の生活』や『数寄です!』『ランド』など、華麗な絵柄と大胆な構図で人気の漫画家である。だが21歳のとき、若年性脳梗塞を発症し、後遺症で両目の視野の右側に見えない部分ができた。「視野欠損」だ。漫画家として大きなハンディともいえるが、山下さんは「病を得たことで、前向きになれた」と語る。38年の漫画家生活をいかに送ってきたのか。(ライター・矢内裕子/Yahoo!ニュース 特集編集部)

    「脳梗塞になって、漫画家しか進む道がなくなった」――視野欠損で描き続ける決意 - Yahoo!ニュース
  • 「僕には国籍がなかった」87歳の報道カメラマン・瀬戸正夫さんに聞く波乱万丈なメシの話 - メシ通 | ホットペッパーグルメ

    タイ生まれ、無国籍。激動のタイを記録してきた 報道カメラマンとして、第2次世界大戦後、激動のタイを記録してきた瀬戸正夫さん(87歳)。波乱万丈の人生のなかで、瀬戸さんの思い出に残っている事について聞く機会をいただきました。 瀬戸正夫さんプロフィール 1931年、南部プーケットで日人の父とタイ人の母との間に生まれ、終戦後、両親と離れ離れとなり、日人抑留キャンプで収容生活を送る。その後、日国籍を失い、タイ国籍を取得するまで約20年、無国籍だった一方、職を転々とするなど、歴史に翻弄(ほんろう)された半生を送ってきた。朝日新聞バンコク支局(現アジア総局)で助手兼カメラマンとなり、タイを中心に激動の東南アジアを取材。また、日のNGOの活動なども手伝いながら、少数民族やスラムの子どもたちなども撮り続けている。 ▲瀬戸さんと愛車の三菱ランサー ©️瀬戸正夫 ──お生まれはプーケットですよね。

    「僕には国籍がなかった」87歳の報道カメラマン・瀬戸正夫さんに聞く波乱万丈なメシの話 - メシ通 | ホットペッパーグルメ
  • 40歳「廃道」に鉱脈を見出した男の快活な人生

    これまでにないジャンルに根を張って、長年自営で生活している人や組織を経営している人がいる。「会社員ではない」彼ら彼女らはどのように生計を立てているのか。自分で敷いたレールの上にあるマネタイズ方法が知りたい。特殊分野で自営を続けるライター・村田らむと古田雄介が神髄を紡ぐ連載の第30回。 <藪を突き抜けた勢いで、うっかりあと1歩踏み出していたら終わりだった。(略)なぜなら、右に見える路面には、それを支える地面がまるで存在しなかったから。宙ぶらりんなのだ。足を踏み込んだら突然板チョコのようにポッキリ割れて、あと100m残っている海岸までの落差を身に刻みつけながら、とても呆気なく人生の締め括りを迎えていたかも知れないのだ。……こういうことがあるから廃道は恐い。(東京都道236号青ヶ島循環線 青宝トンネル旧道レポートより)> 使われなくなった道を踏破するオブローダー 使われなくなった道のことを廃道(

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