「階級化」が進む日本は、今こそ“階級先進国”イギリスに学ぶべきだ 連載「イギリス階級物語」第1回・前編 「階級」を隠蔽する日本の問題点 「格差社会」という言葉がメディアに踊るようになってしばらく経った。この言葉は、社会学者山田昌弘の『希望格差社会』(2004年)が広めた言葉だとされる。 1980年代以降の新自由主義的な政治・経済の結果、貧富の差が激しくなり、貧困や「ニート」が社会問題化したことを背景に、この言葉は人口に膾炙するようになったのだろう。 だが、なぜ「格差」なのだろうか。社会的な階層を表現するにはすでに別の言葉が存在してきた──「階級」である。 思うに、階級ではなく格差という言葉が選ばれるとき、そこには、社会はとりあえずひとまとまりのものとしてあって、その中に勝ち組・負け組が生じているようなイメージがあるのかもしれない。 そのひとまとまりの社会とは「総中流社会」であり、格差社会と
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