タグ

アウトプットに関するnootacaのブックマーク (2)

  • 知識は必要だよね ―ここがヘンだよ日本の学校― : アゴラ - ライブドアブログ

    知識は必要だよね ―ここがヘンだよ日の学校― / 記事一覧 知識は必要だよね・・・といっているこいつは、なにを当たり前のことをいっているのだ、とおもわれたのではないだろうか。ところが、これが自明でない業界があるのだ。 ちきりん氏はいつものお面をかぶって、「知識が問われる時代から、思考が問われる時代へ」とおっしゃった。まったくそのとおりだとおもう。そこで、氏に「では知識はいらないのでしょうか」ときいてみた。もちろん、「必要です」とこたえられた。「知識をどう生かすのかが重要であって、知識が必要でないということはありえない」、そのために「知識のインプットに1時間かけたら、その問題をおなじく1時間かんがえる」とおっしゃった。きいたわたしがまぬけな、あたりまえの議論であった。 しかし、このあたりまえの議論をスルーしてしまったのが、教育業界である。文科省も、文部省のころからこの「知識が問われる時

    nootaca
    nootaca 2011/12/29
    知識をより良い知識にするのが思考だと思う。知識なしに思考することなんてできない。卒論でこのことがよくわかった。
  • 「私」を付け加えることが究極の知的アウトプットであることについて

    「知的生活」は、ばかり読んでなんだか「頭の良い」状態になることではありません。そもそも、クラウド時代には「知」そのものの意味が変わってきているのですから、それにあわせて「知的な生活」も変わらざるを得ません。 全てとはいえなくても、一人の人間が一生に消費しきれない情報がすでにウェブ上に存在している状態で、私たちがちょっとやそっとを読むことで得られる「知識」に何の意味があるのでしょう? Wikipediaにアクセスできれば、古今東西の知識を複数の言語に渡って引き出すことができるのに、あらためて何かを学ばないといけない理由はなんでしょう? きっと答えは、それが「私の情報」「私の知識」であるという状態それ自体に意味があるからであって、「誰よりも知識がある」や「誰よりもを読んでいる」ことそれ自体はもはや意味が薄れているのでしょう。 2012は、この「私の」という部分がさらに加速してゆく一年にな

    「私」を付け加えることが究極の知的アウトプットであることについて
  • 1