日本でLinuxの商用利用が広まり始める前の2002年、日本ヒューレット・パッカードのエンジニアだった赤井誠氏は、ある日社長からLinux事業のリーダーを依頼されます。 「いますぐ社長室まで来てくれますか?」 2002年秋、デスクで仕事をしていると、夕方頃に1通のメールが届いた。 発信者は、ぼくが当時務めていた日本ヒューレット・パッカード(日本HP)の社長だった樋口泰行さん。言わずと知れた現・日本マイクロソフトの社長である。 社長室で待っていた樋口さんは、突然こう言った。 「来期からスタートするLinux事業の全社プロジェクトなんですが、リーダーをやってもらえませんか?」 僕はそのオファーを迷わず断った。 この事業が大きな困難を伴うと予測できたからだ。 日本HPのLinuxビジネスは、ここから数百億円規模にまで成長するのですが、そのリーダーを勤めた赤井氏がどのようにビジネスを成長させてきた
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