山田氏の文章中の一~三の問題点と北方氏が見出した解決点についても、意見はあるもののここでは述べない。しかし山田氏も魯智深をただの「酒乱の乱暴者」としか捉えられていないようだ。「稚気あふれる」とも言及しているが、水滸伝世界(というか、陽明学。水滸伝の成立に多大な影響を及ぼしたのは李卓吾という人物で、彼は陽明学左派の思想家。「童心説」を唱えた。また中国社会もこの考え方の影響を受けている)において、この「稚気あふれる」というのがいかに大切なことか。山田氏も原典の水滸伝をきちんと読んでいるとは言い難いようだ。 山田氏は結びで次のように〆ている。 この北方「水滸伝」全巻が、しかるべき後、かつての金聖嘆版七十回本が「水滸伝」定本とされたように北方「水滸伝」が定本になる。 これは傲慢以外のなにものでもない。 例えば次のようなことを想像していただきたい。 日本で民衆によって大切に育て上げられてきた物語…な
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