タグ

ブックマーク / otomojamjam.hatenadiary.org (5)

  • 希望ということ - 大友良英のJAMJAM日記

    先日も書いた放射線の問題は、ひとりで悩んだり、ネットを見ていろんな意見を参考にしても、そのあまりのバライティ具合にラチが開かないというか、どう判断していいか分からない・・・というのが正直な気持ちでした。素人が判断するにはネット上にあまりにも情報が溢れすぎている。気をつけなければ自分に都合の良い情報や逆に極端にネガティブな情報だけを拾う事になりかねない。 風評被害を防ぐには、正しい知識と正しい情報の把握以外はない・・・というのはオレでもわかるわけだけど、いざ自分が判断しようとするときに、なにが正しい知識で正しい情報なのかが、当にわかりにくい。ましてや政府の言っている事が当に正しい情報なのかどうかに疑問を持ってしまったら、なにを信じていいのかわかならないし、逆にネットにあふれる自分に都合の良い意見だけを信じてしまえば下手をすれば科学の衣をまとった宗教を信じるような過ちを犯しかねない。やはり

    希望ということ - 大友良英のJAMJAM日記
    note103
    note103 2011/07/05
  • 世界音楽の本 - 大友良英のJAMJAM日記

    これ岩波から出た一応は音楽事典ってことになってるんですが、内容すごすぎる。図書館にあるような音楽事典だと思ったらとんでもない。音楽の読み物として、まずは面白い。徳丸吉彦,高橋悠治,北中正和, 渡辺裕による責任編集、音楽のなりたちから現在のポピュラー音楽までを俯瞰した大冊で読み応えあります・・・って話ってだけで興味もつ方もいると思いますが、これに加えて、執筆人が面白い。佐々木敦やら不肖大友良英もはいっております。 自慢じゃないですが、事典だってのに、いきなり「何の音楽経験もなく,学校の音楽の時間すら苦痛だった私の最初の楽器はテープレコーダーと自作の発信機だった.深夜放送でロックを聴くのが楽しみだった14歳の少年は,最初から楽器を演奏することはあきらめていて・・・」って書き出して書いてますからオレ。どこが事典だよっ! って話ですが、実はこれが「演奏装置」の項目。最初は事典だってんで、図書館とか

    世界音楽の本 - 大友良英のJAMJAM日記
  • 10年の軌跡 貧しい音楽 - 大友良英のJAMJAM日記

    今現在でているサウンド&レコーディングマガジンの横川理彦さんの連載コーナーでユリイカの大友良英特集のこと、若尾裕「音楽療法を考える」、そして大谷能生、初の評論集「貧しい音楽」について評を書いています。これを読んだら若尾先生のが読みたくなった。大友、大谷についてもかなり的確なレビューになってます。さすが横川さん。しかし毎月3冊の書評の連載、当に頭が下がる。これまでも横川さんの連載で知った多数。書店で手にとってぜひご覧あれ。あ、ついでに書くと、来月発売のサンレコにはわたしのインタビューも出る予定。 ところでここに出てくる大谷能生著「貧しい音楽」には、ちょうど10年前、GROUND-ZEROを解散しI.S.O.をはじめた頃のわたしのインタビューが載っている。場所はGRID605の隣のビルに今もある喫茶店。当時のウソ偽りない赤裸々な心境を語っていって、今読むと恥ずかしくもあるけど、非常に

    10年の軌跡 貧しい音楽 - 大友良英のJAMJAM日記
    note103
    note103 2008/02/16
  • 朴在千 ユリイカ 水木しげる - 大友良英のJAMJAM日記

    京都法然院にご来場のみなさま、ありがとうございました。当日は心配したというか期待した雨が降ることも無く、番中は風も止み、水音、獅子脅し、モリアオガエル、鳥、犬、そして近所の子供の声や遠くの飛行機や車の音を聴きながら、日では何年かぶりになるFilamentの演奏を楽しみました。会場にいらした方はわかると思いますが、ライブ録音もしておりました。録音状態を見ての発売もあるやもしれません。 さて、7月はほとんどライブありませんが(やすんでるわけじゃないっすよ)今週の木曜、これまた数年ぶりになる朴在千との公演があります。50人程度しか入れない会場ですので、予約お早めに。 あ、それから12日には待望の別冊ユリイカの大友良英特集が発売になります。実はわたしも内容、自分のかいたところ以外まだ読んでいません。今日初めて、どんな人が書いているのかの全貌をみせてもらいましたが、ううううう、正直読むのが怖い。

    朴在千 ユリイカ 水木しげる - 大友良英のJAMJAM日記
    note103
    note103 2007/07/11
  • 2005-03-02

    記憶を参照するタイプの音楽聴取の話のつづきです。歌とか声はこれにすごい関係があるんだろうなってことは容易に想像ついて、一昨日の話にも関係あるけど、そうすると、どこかで佐々木敦さんが書いてたように、オレがやりたいことは、多分この記憶と濃厚にこびりついた音楽と、そうではない、従来の記憶に依存するのではない音楽との両極にアクセスすることかもしれない。今オーケストラの編集をしながらそんなことをつらつら考えている。でもその両者が同時にいることってそもそも可能なのだろうか? オフサイトで行われていたような即興ですら、あっというまにノスタルジックな響きになってしまうもんなあ。それって、じゃ更新し続けるってこと?それとも神みたいなもんになるってこと? とかって思うと、そういうことはオレしたくないし・・・。従来の記憶に依存しない・・・ったって、そんな大それた状態自体、やれているわけじゃないし。この問題は保留

    2005-03-02
    note103
    note103 2005/03/06
  • 1