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自由になりたかった。お金があれば自由になれると思っていた。新卒で社会人になって六年、気づいたら一千万が溜まっていた。けれども、生活はなにも変わらなかった。当たり前だ。たったの一千万だ。一千万ぽっちでなにができる。 たしかに多少大きな買い物をしてもそう簡単にはなくならないけれども、投資をするにはものたりない。会社をやめたら数年でなくなってしまう。大した額だと思ってたけど、溜まってみれば大したことがなかった。気が抜けてしまった。でも、それでもまだ、自由になりたかった。 自由でないと感じるのは、つまり自由がなにかという話になるのだけれど、自分の場合は育った家庭を思い出す時だ。日本での生活をするにあたって常に付いて回る保証人というやつのせいである。 いい大人になって配偶者がいなければ、保証人はいつまでも親だ。機能不全家族育ちにとって、親の名前が随所に出るのはこのうえない苦痛だし、首に紐をかけられて
少し前、ネット上で「高学歴の女性が専業主婦になるのはもったいないか否か」「本当にもったいない生き方とは何なのか」が話題になっていて、たくさんのネットユーザーがコメントしていて面白かった。ネットの話題はいつもそうだが、こういう時に、学力・女性の生き方・専業主婦といったものに対するいろんな価値観が浮かび上がってきて、世間の温度を類推するちょっとした手がかりにはなる。 それはさておき。 現代社会のテンプレート的な価値観として、「自立した女性は素晴らしい」がある。 これそのものは、なんら問題の無い、良い価値観だろう。男性においても同様だ。 しかし、「自立した女性は素晴らしいが、自立していない女性は駄目である」「金銭収入を異性に委ねた人生は悪い人生」になると、一つの生き方を認めても別の生き方は認めないことになるし、「自立できる能力を持った女性が自立した人生を過ごさないのはもったいない」まで行くと、甚
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