ユダヤ人難民を保護した日本 1933年にドイツにナチス政権が誕生して以来、大量のユダヤ人難民が発生し、各国がその受け入れに難色を示す中、日本では1938年12月6日、時の首相近衛文麿の最高首脳会議である五相会議において「猶太(ユダヤ)人対策要綱」を決議。 この中で、ユダヤ人排斥は日本が長年主張してきた人種平等の精神(八紘一宇の精神)に反するとして、以下の3つの方針を定め、ドイツの反ユダヤ主義には追従しないことが決定された。 一、現在、日本・満州・支那に居住するユダヤ人は、他国人と同様公正に扱い排斥しない 二、新たに日本・満州・支那に来るユダヤ人は、入国取締規則の範囲内で公正に対処する 三、ユダヤ人を積極的に日本・満州・支那に招致はしないが、資本家、技術者など利用価値のある者はその限りではない(すなわち招致も可) なぜ上海なのか? ナチスドイツの脅威がヨーロッパ全土に広がるにつれ、数