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文学に関するnozomuonoderaのブックマーク (2)

  • [書評]カラマーゾフの兄弟(亀山郁夫訳): 極東ブログ

    爽快に読める亀山郁夫新訳が全巻揃うまで読書開始は待とうと思っていたが、最終巻を期待していた春頃、なかなか出ないので、よもやまたかという懸念があったが、7月に5巻で完結した。訳者の苦労に感謝したい。そして50歳になってこのが読めたことを深く自分の人生の喜びとしたい。 大げさな言い方だと自嘲もするし、私など些細な存在だが、この書籍に呪われたような人生だった。私はある意味では早熟でクラソートキンの歳でこの作品に挑んだ。旺文社文庫箕浦達二訳で読み始めたのだった。ロシア語はわからないが(それでも大学で学んだっけと思い出す)良い訳だった。が、二巻までしか出版されなかった。その後旺文社文庫自体が消えた。魯迅もプラトンも鴎外も漱石も私は旺文社文庫で読み、学んだ。 いつの日か箕浦訳が出ると確信していて3年が過ぎ、5年が過ぎ、10年が過ぎた。アリョーシャの歳にもなった。そしてその歳も過ぎた。しかたなく継ぎ接

  • 書評 - 海辺のカフカ : 404 Blog Not Found

    2007年03月13日21:00 カテゴリ書評/画評/品評 書評 - 海辺のカフカ 生まれてはじめて、金を出して村上春樹のを買った。 海辺のカフカ 村上春樹 今度は楽しめると思ったからだ。 極東ブログ: [書評]海辺のカフカ(村上春樹) ようやく読めたということに個人的な感慨がある。長いこと読めなかった。 finalventさんに背中を押されたというわけでもないけど、37歳の子持ちは、今度こそ村上春樹を楽しむことが出来た。 小説というのは楽譜のようなものである。いや、楽譜そのものである。それだけではただの紙の束であり、そこに書かれた音符も弾き方を知らなければただのインクのしみであり、そして弾けたとしてもそれを楽しめるとは限らない。そう。小説とは自分で演奏して楽しむものだ。これが漫画映画との違いで、これらは人の演奏を楽しむものである。漫画に関しては自分で演奏を楽しむ余地も少しあるのでカ

    書評 - 海辺のカフカ : 404 Blog Not Found
    nozomuonodera
    nozomuonodera 2007/08/22
    村上春樹
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