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世界と戦争に関するnpideaのブックマーク (4)

  • 第7回武装解除人 伊勢崎賢治さん-その4-根っこにあるのはものづくりへの情熱|魂の仕事人|人材バンクネット

    現在は立教大学や国士舘大学で教鞭を取っている伊勢崎さん。教えているのはやはり開発政策、非営利経営、DDR、危機管理など、国際協力関係のテーマ。しかしその一方で昨年末には内戦終結の兆しが見えたインドネシアのアチェを視察してきた。伊勢崎さんにとって仕事とは、働くとはいかなることか、聞いてみた。 そもそも教職に就いたきっかけは、NGO時代の僕を良く知る日のNPO研究の第一人者、中村陽一さん(現立教大学教授)が、立教大学に新しいコンセプトの研究科を立ち上げたいと言ってきた。僕は当時、まだシエラレオネの国連PKOにいたんですが、遠距離でその立ち上げに参加してたんです。文科省の認可は簡単に下りるわけがないと思ってたら下りちゃった。「じゃあ、約束通り教授としてお願いします」って(笑)。 でもやってみたら大盛況でね。今年で4年目なんですけど、毎年競争率も落ちてませんし。大成功ですよ。参加してよかったなっ

    第7回武装解除人 伊勢崎賢治さん-その4-根っこにあるのはものづくりへの情熱|魂の仕事人|人材バンクネット
    npidea
    npidea 2010/06/03
    伊勢崎賢治 其の四
  • 第7回武装解除人 伊勢崎賢治さん-その2-武装ゲリラ相手のDDRは危険を伴うが 命懸けという意識はない|魂の仕事人|人材バンクネット

    理事会と大ケンカして国際NGOの日支部を退職した伊勢崎さんは、国際協力系のシンクタンクに転職。調査役主任研究員として中東和平に尽力する日々を送る。そして1999年10月、伊勢崎さんの運命を変える電話が鳴った。かけてきたのは外務省。ここから「紛争屋」としての人生が始まった。 外務省の国連政策課の役人から「国連へ行ってくれないか」っていう電話が掛かってきたんです。それが始まりですね。詳しく聞くと、無政府状態に陥っているインドネシアの東チモールで国連が行うPKOのミッションに参加してくれってことだった。内戦を終結させて、国をゼロから作っていくという仕事。これはおもしろそうだと思って参加することにしたんです。 僕に依頼してきたのは、内戦中の国で開発事業や治安維持の指揮を採った日人なんてほかにいなかったからでしょうね。 というわけで、国連の職員として、2000年3月から東チモールのコバリマという

    第7回武装解除人 伊勢崎賢治さん-その2-武装ゲリラ相手のDDRは危険を伴うが 命懸けという意識はない|魂の仕事人|人材バンクネット
    npidea
    npidea 2010/06/03
    伊勢崎賢治 其の三
  • 魂の仕事人|キャリア&転職研究室

    東チモールで1年間、復興の指揮を採った伊勢崎さんはその直後、内戦が激化していたシエラレオネ、ついでアフガンへ飛んで武装解除、治安回復に尽力する。紛争の現場で伊勢崎さんが見たものとは……。 これまで手がけたDDRの中で一番キツかったのは、東チモールの次に行ったシエラレオネですね。このときも国連から派遣されるという形で行きました(国連シエラレオネ派遣団DDR部長として)。1988年1月から内戦に突入する直前の1992年3月まで国際NGOの責任者として僕が働いていた事務所はもちろん、精魂込めて作ったインフラがほぼ破壊しつくされていました。 とにかく相手がまともな連中じゃなかった。朝から麻薬やって、交渉の現場でもラリったまま実弾の入ったピストルをくるくる回してるんですからね(笑)。ほんとにいつ撃たれるかわからない。ロシアンルーレットまがいのことをやられた同僚もいたしね。 特に下っ端の少年兵とかはコ

    魂の仕事人|キャリア&転職研究室
    npidea
    npidea 2010/06/03
    伊勢崎賢治 其の二
  • 魂の仕事人 第七回:伊勢崎賢治

    アジア、アフリカ、中東など、世界の紛争地に赴き、内戦を終わらせ、平和を取り戻す仕事がある。敵対する戦闘集団と交渉、武装解除、動員解除、兵士の社会復帰を実現させる通称DDR。その仕事に命を賭ける漢の名は伊勢崎賢治。しかしその一歩は挫折から始まった。 僕のキャリアの中では国際平和維持活動の仕事が一番長いですが、元々は画家とか音楽家になりたかったんですよ。でもそれでうのは難しい。で、中間を取って(笑)、建築家になろうと思った。建築も芸術の一分野だからね。だから建築でもアントニオ・ガウディみたいな意匠系、建築作家になろうと。非常に安易な動機ですね(笑)。 それで早稲田大学の建築学科に進んだ。当時の早稲田の建築っていうのはすごく有名だったんですよ。国際コンペで優勝したり、海外から留学生が来たり。早稲田の建築は日一だった。偏差値ではなくて、技術がね。で、僕も最初はやっぱり大建築家になることを夢見て

    魂の仕事人 第七回:伊勢崎賢治
    npidea
    npidea 2010/05/31
    伊勢崎賢治 其の一
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