タグ

関連タグで絞り込む (2)

タグの絞り込みを解除

仏教と茂木健一郎に関するnpideaのブックマーク (4)

  • 新潮新書「人は死ぬから生きられる」の紹介(4/終) - すべての夢のたび。

    過去分はこちら→ (1)・(2)・(3) 南 私は断念することを教えたいんです。教えたいというとおこがましいけど、断念するということを学ぶべきだと思うんです。絶対にわからないことは、わからないってところでとめるべきです。それを言ってしまうと、世界が閉じてしまって、閉じた瞬間にパワーを失っていくに違いない。 でも、霊魂があるかないかの話を、なぜあんなに人は大昔から古今東西、ずっと今までしてきたかというと、人ごとの話じゃないからですよ。根には、自分は一体どこから来てどこへ行くのかがわからないという、実存の根に不安があるんですな。 切ない話ですよ、自分がなぜここにいるのかわからないというのは。そうすると、霊魂とかあの世とか、何か言葉を持ってきてフタをしたくなるわけです。 茂木 どこから来たのか、あるいはどこへ行くのかのどちらかを。 南 あるいは両方を。これは人間の普遍的かつ根底的な欲望なんで

    新潮新書「人は死ぬから生きられる」の紹介(4/終) - すべての夢のたび。
  • 新潮新書「人は死ぬから生きられる」の紹介(3) - すべての夢のたび。

    南 例えば、空海上人と道元禅師は、最も言語に対して対照的でなおかつ深い思索をした人間です。空海上人の「真言」というのは、言語の外にあることも言えてしまう、そしてそれがそのまんま一つの実在になる、ということだと私は思っています。「真言」というのは言葉ではなく実在で、言語の向こう側にあるものを掴んで実在させる。これは言語に対する考え方としては、ものすごく極端で、下手すると、初めに言葉ありきの世界の考え方。 対して禅は、そこから先は言わないという断念の力なんです。ギリギリのところまで言えば、反動としての抵抗感を感じる。この抵抗感で断念する。そして押し続ける。言える限り言う。あることを言うと、またそのうち言葉を自分で裏切って次の言葉を使う。「不立文字」と言うのは、文字を立て続ける力のことだと私は思っています。密教はあえてそこを破って、実在としての言語というところに踏み込むわけです。 35-36ペー

    新潮新書「人は死ぬから生きられる」の紹介(3) - すべての夢のたび。
  • 新潮新書「人は死ぬから生きられる」の紹介(2) - すべての夢のたび。

    人は死ぬから生きられる―脳科学者と禅僧の問答 (新潮新書) 作者: 茂木健一郎,南直哉出版社/メーカー: 新潮社発売日: 2009/04メディア: 新書購入: 20人 クリック: 170回この商品を含むブログ (31件) を見る (1)はこちら。 茂木 先ほど、引きこもりやリストカッターの話が出てきましたけれど、人間の存在とか、認識のあり方の根問題に触れちゃった人がいるっていうのは、確かに大問題ですね。それはある意味で認識論の病気ではないですか。 南 そう思います。すでに世の中で常識とされている価値や存在に、疑問を持っている若い人がかなりいます。私のところにもよく相談に来る。例えば、死にたくてこの世から早く消えてしまいたいと思っている人間がいるとします。彼あるいは彼女に何かを言うとき、普通だったら生きているのは良いことだという前提で話をするでしょう。でも、そうした疑問を抱えている人間はそ

    新潮新書「人は死ぬから生きられる」の紹介(2) - すべての夢のたび。
  • 新潮新書「人は死ぬから生きられる」の紹介(1) - すべての夢のたび。

    人は死ぬから生きられる―脳科学者と禅僧の問答 (新潮新書) 作者: 茂木健一郎,南直哉出版社/メーカー: 新潮社発売日: 2009/04メディア: 新書購入: 20人 クリック: 170回この商品を含むブログ (31件) を見る このを紹介したいのだけど、まとめるの面倒だなーと思ってました。でもここは書評サイトじゃないんだからべつに適当でいいんじゃん!という気分になったので、一回でまとめなくても、気に入ったところを少しずつ引用したりすればいいか、ということにしました。 で、最初に「おー」と思ったところ。実はこのを紹介してる他のはてダ2つでも同じところを引用してた(笑)。でも、そこからコピらずにちゃんと自分で打ち直しました。茂木さんによる南直哉さん評の一部。 もっとも心に残ったことの一つが、南さんが95歳のおばあさんと交わしたという会話である。「和尚さん、死んだら私は良いところへ行けます

    新潮新書「人は死ぬから生きられる」の紹介(1) - すべての夢のたび。
  • 1