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ブックマーク / michiaki.hatenablog.com (29)

  • あまり知られていない生き方 - すべての夢のたび。

    東京永久観光 : 希有な人 tokyocatさんによる、非常に読み応えのあるエントリ。ある哲学者の、自死を選択し実行に至るまでの心境ほかを綴ったの紹介なのですが、死について関心がある人は興味深く読めるんじゃないかと思います(そして、このをも)。エントリの最後でリンクしていただいてるので、なんか応答せねばなーと思いつつ日が経ってしまった。ので、とりあえず紹介だけでも。なんで書けないんだろ?と思ったけど、多分こちらのエントリがとても力の入ったものになっているので、それに見合ったものを返さねば、というプレッシャーが働いていたんじゃないかと思います。 このは興味あるんですけど買ってません。共鳴してしまうとなんかマズいのではないかという気がして。 ぼくは死についてずっと考え続けてきたし、いまも考えています。そして、簡単にはブレないそれなりのイメージ・考えを持つことができている。しかし、それを人

    あまり知られていない生き方 - すべての夢のたび。
  • こっそり南京アンケート - すべての夢のたび。

    会社に行く途中で思いついて、電車を待つ間にiPhoneからアンケートを設定、それが8時15分ぐらいですね。回答数300件、16時過ぎに終了しました。さて以下が結果です。 南京事件はどうでしょう。あった 111なかった 95どうでもいい 94 「あった」が1/3よりやや多く、「なかった」「どうでもいい」が1/3よりやや少ない、と、そんな割合になりました。ご感想はいかがでしょうか。割合としては20代の「どうでもいい」が他の年代より少しだけ多く、男女差はほぼないようです。 「どうでもいい」はぼくです。あったなかったが、いますぐなにか直接にぼくの生活に関わってくるわけじゃないですしね。でも、気持ちとしてはなかったのなら良かったのになぁとは思います。自分の住んでる国が昔やったらしいよくないことの話だし、死んだ人の数なんて少ない方がいいに決まってる。 そういうぼくからすると「あった」の人たちの主張は、

    こっそり南京アンケート - すべての夢のたび。
    npidea
    npidea 2009/06/03
    これはちょっとビックリした。うまく読み取れない。
  • 友達のいらない人 - すべての夢のたび。

    玄侑宗久さんと南直哉さんの対談、「同時代禅僧対談 “問い”の問答」の261Pより。お2人がそれぞれのお師匠さんについて語っています。南さんの師匠はごく普通のお寺の住職さんとのことです。しかしなかなか、ふつうではないみたい。 これもあるとき2人でお茶を飲んでいたときのことですが、いきなり「お前、友達が要らない人間だろう?」と言われました。たしかにまともに友達をつくったこともないから、「え?」と言ったら、「いや、俺にはそう見える。それはそれでいいんだが、これからお前にもたぶん弟子ができるだろうが、そのとき相手に対して犠牲を払う覚悟がなかったら弟子をとってはいかん」と。そして、こんなふうに言うんです。「お前が友達をつくることに興味がない、友達をつくる気がまったくないというのは、他人に対して自分を犠牲にすることがいやだからじゃないか?」――そう言われたときは、「これはヤバいな」と思いました。 こ

    友達のいらない人 - すべての夢のたび。
  • すごい本を読んだ - すべての夢のたび。

    土曜に買ったコレですけどね。 単純な脳、複雑な「私」 作者: 池谷裕二出版社/メーカー: 朝日出版社発売日: 2009/05/08メディア: 単行(ソフトカバー)購入: 102人 クリック: 2,607回この商品を含むブログ (203件) を見る ぼくは始終あれこれスゴイスゴイ言ってて信用ないかもなので、このは「ものすごい」と言っておきます(笑)。読んだ人の人間観・世界観を後戻り不可能な形で書き換えてしまうかもしれない。 脳科学の最先端の状況についての高校生への講義を収録してあるんですけど、いやー、脳科学ってもうここまで来ちゃってるんだ、ということが衝撃でした。衝撃デカ過ぎて自分の中で受け止めて整理するのにしばらく時間がかかりそう。脳については、頭の中だけで考えるんでも、行動の観察だけで考えるんでもだめなんですね。やっぱり開けて見てみないと解らんのだわっていう。 例えば、プロゴルファー

    すごい本を読んだ - すべての夢のたび。
  • 新潮新書「人は死ぬから生きられる」の紹介(4/終) - すべての夢のたび。

    過去分はこちら→ (1)・(2)・(3) 南 私は断念することを教えたいんです。教えたいというとおこがましいけど、断念するということを学ぶべきだと思うんです。絶対にわからないことは、わからないってところでとめるべきです。それを言ってしまうと、世界が閉じてしまって、閉じた瞬間にパワーを失っていくに違いない。 でも、霊魂があるかないかの話を、なぜあんなに人は大昔から古今東西、ずっと今までしてきたかというと、人ごとの話じゃないからですよ。根には、自分は一体どこから来てどこへ行くのかがわからないという、実存の根に不安があるんですな。 切ない話ですよ、自分がなぜここにいるのかわからないというのは。そうすると、霊魂とかあの世とか、何か言葉を持ってきてフタをしたくなるわけです。 茂木 どこから来たのか、あるいはどこへ行くのかのどちらかを。 南 あるいは両方を。これは人間の普遍的かつ根底的な欲望なんで

    新潮新書「人は死ぬから生きられる」の紹介(4/終) - すべての夢のたび。
  • 新潮新書「人は死ぬから生きられる」の紹介(3) - すべての夢のたび。

    南 例えば、空海上人と道元禅師は、最も言語に対して対照的でなおかつ深い思索をした人間です。空海上人の「真言」というのは、言語の外にあることも言えてしまう、そしてそれがそのまんま一つの実在になる、ということだと私は思っています。「真言」というのは言葉ではなく実在で、言語の向こう側にあるものを掴んで実在させる。これは言語に対する考え方としては、ものすごく極端で、下手すると、初めに言葉ありきの世界の考え方。 対して禅は、そこから先は言わないという断念の力なんです。ギリギリのところまで言えば、反動としての抵抗感を感じる。この抵抗感で断念する。そして押し続ける。言える限り言う。あることを言うと、またそのうち言葉を自分で裏切って次の言葉を使う。「不立文字」と言うのは、文字を立て続ける力のことだと私は思っています。密教はあえてそこを破って、実在としての言語というところに踏み込むわけです。 35-36ペー

    新潮新書「人は死ぬから生きられる」の紹介(3) - すべての夢のたび。
  • 新潮新書「人は死ぬから生きられる」の紹介(2) - すべての夢のたび。

    人は死ぬから生きられる―脳科学者と禅僧の問答 (新潮新書) 作者: 茂木健一郎,南直哉出版社/メーカー: 新潮社発売日: 2009/04メディア: 新書購入: 20人 クリック: 170回この商品を含むブログ (31件) を見る (1)はこちら。 茂木 先ほど、引きこもりやリストカッターの話が出てきましたけれど、人間の存在とか、認識のあり方の根問題に触れちゃった人がいるっていうのは、確かに大問題ですね。それはある意味で認識論の病気ではないですか。 南 そう思います。すでに世の中で常識とされている価値や存在に、疑問を持っている若い人がかなりいます。私のところにもよく相談に来る。例えば、死にたくてこの世から早く消えてしまいたいと思っている人間がいるとします。彼あるいは彼女に何かを言うとき、普通だったら生きているのは良いことだという前提で話をするでしょう。でも、そうした疑問を抱えている人間はそ

    新潮新書「人は死ぬから生きられる」の紹介(2) - すべての夢のたび。
  • 新潮新書「人は死ぬから生きられる」の紹介(1) - すべての夢のたび。

    人は死ぬから生きられる―脳科学者と禅僧の問答 (新潮新書) 作者: 茂木健一郎,南直哉出版社/メーカー: 新潮社発売日: 2009/04メディア: 新書購入: 20人 クリック: 170回この商品を含むブログ (31件) を見る このを紹介したいのだけど、まとめるの面倒だなーと思ってました。でもここは書評サイトじゃないんだからべつに適当でいいんじゃん!という気分になったので、一回でまとめなくても、気に入ったところを少しずつ引用したりすればいいか、ということにしました。 で、最初に「おー」と思ったところ。実はこのを紹介してる他のはてダ2つでも同じところを引用してた(笑)。でも、そこからコピらずにちゃんと自分で打ち直しました。茂木さんによる南直哉さん評の一部。 もっとも心に残ったことの一つが、南さんが95歳のおばあさんと交わしたという会話である。「和尚さん、死んだら私は良いところへ行けます

    新潮新書「人は死ぬから生きられる」の紹介(1) - すべての夢のたび。
  • 死ぬのを待ってなんていられない - すべての夢のたび。

    自分の人生の最後は自殺で終えよう、と、だいぶ前に決めていました。医療にQOL、クオリティ・オブ・ライフという言葉がありますが、それを言葉そのままに捉え、人生の質が維持できなくなったら死のう、という感じです。質の低下が一時的なものならいいかも知れませんが、先が見えず回復の見込みが薄そうとか、先がもう短いとか、そういった状況であれば、別にそこから頑張ったりせず、適当なところで終わらせてしまおう、と。イメージとしては、それは60歳を過ぎてからのことでした。定年で会社を辞め、年金もまったく期待できず、心身にもガタが出ているだろう頃。つまりまだ何十年も先の話です。 ですが、去年の終わりになって状況が変わってきました。 もちろん、全世界的な不況のことを言っています。株価は下がり続け、会社は潰れ、モノは売れず、派遣は切られ、次はいよいよ正社員か?という現在。これによって、比較的近い時期に、ぼく自身のQO

    死ぬのを待ってなんていられない - すべての夢のたび。