いまから65年前のきょう、1952年8月29日、アメリカの作曲家ジョン・ケージ(当時39歳)の作品「4分33秒」が、ニューヨーク州ウッドストックでの慈善コンサートで、ピアニストのデヴィッド・テューダーにより初演された。このときテューダーは、演奏を始める素振りを見せながら、結局タイトルと同じ時間のあいだ、まったく音を出すことなく“演奏”を終えた。 この曲でケージが説いたのは、音と沈黙の唯一の違いは、聴く意図の有無にあるということだった。ピアノを一切鳴らさずとも、集中して聴くことで、外で風がざわめく音や屋根に落ちる雨音など、周囲にあるさまざまな音が聞こえてくる。それら環境音もまた、ケージに言わせれば音楽だった。「音楽はいつも続いています。音楽を追い払うかどうかは私たちしだいです」と彼は宣言した(ケネス・シルヴァーマン『ジョン・ケージ伝』柿沼敏江訳、論創社・水声社)。 しかし初演された「4分33
「私は安楽死で逝きたい」。2016年12月号『文藝春秋』に掲載された1本の記事が大きな反響を呼んだ。原稿を寄せたのは、92歳の人気脚本家の橋田壽賀子さん。「おしん」「渡る世間は鬼ばかり」はじめ名作ドラマを生み出した脚本家がごく私的な思いから綴った記事は、本人の予想を超えて共感を呼び、その年の読者賞を獲得する。関心が高いが、口にするにはためらいのある「安楽死」について、ご本人が明言するに至った背景を伺った。 ◆◆◆ 私が安楽死を望むわけ 家族がいれば、子どもや孫の成長を見届けたかったり、できるだけ生きていて欲しいと望まれることでしょう。けれども私は、夫に先立たれ、子どもはなく、親しい友人もいない。天涯孤独の身の上です。 仕事は嫌というほどやったし、世界中の行きたい場所へ行きました。もうじゅうぶん生きて、やり残したこともなく、思いを残す相手もいません。 いまはまだ自分で生活できていますが、足腰
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く