どうも、ご無沙汰しています。 ひつじ田メイ子です。 本当にご無沙汰な感じがして、なんか書くのが緊張します。 今日で5月がおわりますね。 明日からは2017年の下期になります。 私は5月ブログ記事が5本しか書けませんでした。 それにも関わらず、読者登録してくださった方や読んで下さった方がたくさんいて本当に有難いです。ありがとうございます。 なんだか、最近書けません。 体調の問題も、もちろんあるのですが、それもちょっと言い訳なところもあって。 前まではスキマ時間でも必死で書きたいことがあったのに、なかなか浮かんでこないのです。 色々思うことはあるのですが、あまり上手くまとめることができず書けず仕舞いになりました。 という感じで、少し愚痴っぽい始まりになりましたが、5月の締めはここ最近のできごとを振り返ってみようかと思います。 毎日会社へ行っている 音信不通だった不思議君と別れた 誰かといる孤独
ひとは悲しいかな、学ぶ。そうするとそれを活かそうとする。それは茶の煎れ方やソラマメのむき方、上野動物園でパンダをいかにうまく見るか、などの日常生活から、いうなれば「生き方」まで支配する。 私も人の親となった。子どもが生まれればオートマチックに親になれる。そこに大儀はない。しかし親とは愚者である。子どものあるべき未来を限定しようとしてしまうのである。それは親の学びから由来する。 私は自身の子に「自由に生きてほしい」と願っている。私自身が貧乏であったゆえに限定された選択肢しか発見できなかったからである。しかしその「自由に生きてほしい」という願いすらも、もしかしたら子どもの未来を限定させてしまうかもしれない。 つまり子どもはもっと拘泥された人生を送りたいと思っているかもしれない、ということである。 私が息子にさまざまな選択肢を今後与えるかもしれない。たとえば習い事である。自身がやっておけばよかっ
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く