母の故郷である佐賀県に生まれるが、出生後まもなくキャバレーのチェーン店を経営していた父親がほかの女性のもとへ走り、両親は離婚した。田代は母親に引き取られ、中学時代まで母親のもとで育った。母親は"夜の仕事"をしながら田代を育て、母親が留守の間は大家に預けられていた。ミッション系の幼稚園に入園し、その後小学校入学直前に東京都新宿区へ転居した。転居先の百人町でも母親との二人暮らしをする。 田代が13歳の時、母親が再婚した。その後、間もなく母親の元を離れ、父親や父親の再婚相手である女性と一緒に住むこととなったが、その生活になじめず素行不良が目立つようになり、酒・煙草・シンナーに手を染める。また、新宿の映画館によく通っていた。 杉並区の中学校への転校を経て、1972年(昭和47年)4月に芝浦工業大学工業高等学校機械科に入学した。同年の11月には早くも自動二輪運転免許を取得し、オートバイにも乗るように