某全国紙に掲載されるはずだった秋葉原通り魔事件のコメントが、地震で「とび」ましたので、かわりにこちらに掲載します。 **************************************************************** 社会学者の宮台真司・首都文学東京教授(49) は携帯サイトの書き込み内容からこう分析する。 『現実でも一人。ネットでも一人』『みんな俺を避けている』などの書き込みから見ると、加藤容疑者は社会に居場所が見つけられない不満を強く感じている。背景には若者文化の変質があろう。 かつては人づきあいが苦手な若者たちの『もう一つの居場所』が若者文化の中にあり、秋葉原もその象徴だった。今はオタク文化もネット文化もまったり戲れる場所。被害者の一部がそうだったように秋葉原も今は友達と連れ立っていく所だ。友達がいない者には秋葉原でさえ居場所にならない。 他方『県内トップ
「据物撃ちなら誰でもできる」の続き。 gooやYahoo!で「秋葉原 射殺」をキーワードにブログ検索すると何十件もヒットする。 (例 1・2・3・4・5・6・7[コメント欄に批判あり]) どれも判で押したように同じ主張だ。 「秋葉原事件のような凶悪犯は射殺せよ!」 「犯人射殺はアメリカでは当たり前のことだ!」 ああ、バカバカしい!!! 何も知らず考えない人ほど威勢のいいことを言う。本人は正論のつもりだろうが恥をさらしているだけである。 前の記事で取り上げた「発砲を期待する」意見のほうがよほどマシだ。あちらは「気持は分かるが認識が甘い」と指摘すればすむが、「射殺煽り」は悪質なトンデモである。 あらかじめ断っておくが、おそらく射殺論者が目の敵にしているだろう左翼人権論(犯人にも生きる権利が~)による批判をするつもりはない。人権を持ち出す以前の認識からして射殺煽りはどうしようもないのだ。 ■ 「
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