企画始動は2005年「深い衝撃」完成直後から。このときはハイビジョン機材も高価でレンタルでも手が届かない状態。編集機材もこの世にほとんどない状態でした。(「深い衝撃」はこういう理由で泣く泣くSDになりました)それからわずか7年後。なんと家庭用ハイビジョンカメラは当たり前になり、編集も中級ノートパソコンでも可能という夢のような時代になってしまいました。こうしてフォーマットは劇場公開、大スクリーンでも耐えられるハイビジョンで製作することになりました。 2009年「皆様の安全が一番」完成後、具体的に撮影準備がスタート。この頃からアクション監督のシンシアラスターさん、ヒューマンの中川さんと頻繁に会合を開き実現を目指しました。撮影はもちろん1988年「ぼくらのヒーロー」からずっと吉村文庫作品を撮り続けている大坪さんです。