学生の頃、その当時東大の梵文の教授だった原実先生が京大に集中講義にいらっしゃった。 原先生が繰り返し仰っていたのは concordanceを使うことができるのは、その文献の全文を数回通読した後の話だ ということだった。それは原実先生の実体験から仰っていることで、わたしのような不出来な学生は、パーリ三蔵を何度も通読してから索引を使うなどということは当然ムリで、最初からconcordanceに頼る、原先生から見れば、話にならない学生だったことになる。 さて、電子化テクスト全盛の昨今、 文字列を捜すのは上手 にできるようになったが 実際に文字列に書いてあることが読めてない学生や院生等等 は確実に増加している。たとえばゼミで 注釈のある文章を取り上げる ということは 注釈の部分も読み込んでこい ということと同義だと思っていたら、本文しか読んでこないとか、注釈の部分は何が問題になっているのか理解して