まだ2回目なのに、というか、2回目だからなのか、早くも紆余曲折の横浜トリエンナーレ(通称ハマトリ)。もういちどこれまでの経緯を簡単に振り返っておこう。 最初の難関は会場探しだった。前回(2001年)メイン会場として使用したパシフィコ横浜展示ホールがふさがっていたため(前回の使用料が未払いだとのウワサも)、新たに会場探しから始めなければならなかったからだ。ようやく山下埠頭の突端の巨大な倉庫2棟に決まったのが、2004年2月のこと。つまり会場を決めるだけで2年以上を費やしたことになり、この時点で1年延期は決定的となった。 同年7月に建築家の磯崎新が総合ディレクターに就任。彼は国際展のシステムそのものに切り込むきわめて意欲的な(かつ論争的な)プランを提案した。ところがこれが第2の難関となる。磯崎氏のプランを実現しようとすれば最低もう1年の準備期間が必要になり、これ以上延期したくない横浜市と対立し