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ブックマーク / azumy.hatenablog.com (2)

  • 幼児の「女の子らしくしたい」 - 深く考えないで捨てるように書く、また

    最近つらつらと考えているのは、人はいつから男/女になって、いつから男/女でなくなるのか、ということ。 もちろん、基的には受精した瞬間からオスかメスのどちらかに決まっていて、この世に生まれた瞬間からオス=男、メス=女ということになって、生きていく。ヒトは性染色体の異常がない限り(表現形と一致しない場合はあるが)オスかメスのどちらかで、性染色体の異常がある場合でも、表現形としてはオスかメスかどちらかになる。 一方では、心理的に男でも女でもない時期というのもある。小さな赤ん坊は、自分が男であるか女であるか分からない(それ以前に人であることもまだ分からないのだが)。自分の経験や観察からは、だいたい3歳くらいで男と女には違いがあることに気づき、自分はそのどちらであるか自分なりに規定する、という感じのようだ。2歳ではまだそのあたりの区別はあまりついていない。しかし、この3歳の時点ではまだ単なる区別で

    幼児の「女の子らしくしたい」 - 深く考えないで捨てるように書く、また
    nyomonyomo
    nyomonyomo 2007/06/05
    興味深い
  • 「完璧な育児」ってなんだろう - 深く考えないで捨てるように書く、また

    最近、つらつらと考えているのは「完璧な育児」。 自分は完璧な育児なんてするつもりもなく、できるとも思わず、そもそも完璧な育児などというものは存在しないだろう、と思っている。 でも、どこかで、「完璧な育児」に振り回されているときがあるような気もする。 自分は子どもの能力を十分に見極めて伸ばしてやれているだろうか。子どもが何を親に求めているのか、ちゃんと汲み取ってやれているだろうか。自分の愛情は子どもに届いているだろうか、まだ物足りないと思ってはいないだろうか。 そんなことを考え出すと、自分のしている育児ということの不完全性に直面する。 子どもがやがて成長して大人になった時に、必ず「うちの親はこんなところがダメだった」「自分にとって親にはこういう点が足りなかった」という思いをするだろう。完璧な人間などいないのだから、親の人間としての欠点や、親としての不完全さをしみじみと思うに違いない。 自分も

    「完璧な育児」ってなんだろう - 深く考えないで捨てるように書く、また
    nyomonyomo
    nyomonyomo 2007/02/27
    真面目なんだなぁ
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