人間は否定性をいわば「地層」のように織り込んで成長していく、ということの拒否に世の中が向かっている。子供にNOを言う力を教えるのはもちろん大事だが、この記事に示されているような「善意」は度が過ぎていると思う。 否定性に耐え、みずからの内奥に否定性を抱きかかえて生きるのをやめるなら、我々は「従来の意味での人間」ではなくなっていくだろう。すでにそうなり始めているのかもしれない。 最近、「自由な合意」ばかりが強調される。近代的主体の合理的判断、である。それに疑問を向けることは一見難しい。だが、人間の共同性はそれだけでは成り立たない。相互行為のあらゆる部分に合意を取りつけることはできない。人生には「流れでそうなってしまったことに耐える」面がつねにある。合意というのは、その基準点=主体が安全であることを意味している。つまり、主体が揺さぶられ、変質することの拒否である。その拒否こそがまさしく近代性、モ