「石破アレルギー」を味方につけた第2次安倍政権 「安倍1強」はいかに生まれたか。 最大のライバルだった元幹事長・石破茂との関係を軸に振り返る。 2012年末に生まれた第2次安倍政権の誕生には、民主党政権の低迷だけでなく、自民党内にあった「石破アレルギー」が一役買った。 自民党の次期衆院選での政権復帰が確実視される中で行われた同年9月の党総裁選。石破は1回目の投票で、地方票の過半数を奪って安倍らを圧倒したが、国会議員票が伸びず、田中角栄が福田赳夫を破った1972年総裁選以来の決選投票となる。 石破は自民党が下野し、細川(護熙)連立政権だった1993年12月に離党したこともあり、当時自民党幹事長だった元首相・森喜朗ら党重鎮の間では「苦しい時に、石破から後ろ脚で砂をかけられた」との思いから「石破嫌い」が根強かった。安倍は、「石破政権」の誕生を嫌う国会議員たちの票を集めて決選投票で逆転し、病気で首
![総裁選不出馬「俺が反対したら、支持率は下がる」"誰も意見を言わない自民党"を作ったある人物 安倍長期政権で起きていたこと](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/e6f0477311a5d2fe7a0a1f1e8720709916bd9635/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fpresident.ismcdn.jp%2Fmwimgs%2Fa%2Fa%2F1200wm%2Fimg_aacafa19f26b72bfec298e85dfbd1642980141.jpg)