■東洋のマタハリ・川島芳子に新説(上)/(下) 「東洋のマタハリ」「日本のジャンヌ・ダルク」「男装の麗人」とさまざまな呼び名があり、日中戦争時代の中国大陸で、日本軍のためにスパイ活動を働いていたとされる川島芳子。数奇な運命をたどり、中国国民党政府の手に落ち、北京で処刑されたと伝えられる芳子が、実は1979年まで中国東北部・吉林省長春市で生きていたとの説がにわかに浮上してきた。文学博士で近代思想史研究家の野崎晃市・長春大学講師に聞いた。(相馬勝)関連記事加藤紘一氏に聞く(1)保守リベラルの…李長春・中国政治局常務委員、マスコミ…記事本文の続き ――まず初歩的な質問ですが、川島芳子とは、どういう人物なのですか? 「川島芳子はラストエンペラー、清朝皇帝溥儀の)の粛親王の娘だから王女といえる。粛親王と義兄弟となった日本人の養父・川島浪速氏により育てられ、満州国建国前後には上海事変や溥儀(ふぎ)の妻