私はそんな場面に遭遇したことがないのでびっくりしました。あるあるの方もいるんですね…! リプに寄せられた店員さんに間違われエピソードも面白かったですし、頼む頼まないについても様々な考えや意見を知ることができて勉強になりました!
![おばあちゃんに店員と間違われたのか「上の商品を取って下さいな」と言われたが「店員じゃないです」と断ろうとした→頼まれた理由が違った](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/31664ce4bb177c11242e8cfe1821536b69195f66/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fs.togetter.com%2Fogp2%2Fb8a5e186772b9bde4b603daf9e38e8eb-1200x630.png)
われわれ70年代安保世代が流れたのは…… ——坂本さん、あの時期アープを弾き倒されてましたものね。 山下「もともと藝大のシンセサイザー専攻ですから。彼がYMOに参加する直前に作ったソロ・アルバム『千のナイフ』は、当時最先端だったコンピューター・ミュージックで、毎日見学に行ってた。そのせいで、1曲カスタネットで参加しています(笑)」 ——「政治の季節」と音楽的な実験の興隆がシンクロしていた。おもしろいものですね。 山下「坂本君にしても僕にしても、70年安保で人生が狂ったクチなんです。これはよく言われることですけど、60年安保を機にドロップアウトした人たちが流れた先が雑誌メディア。雑誌文化は60年代安保世代が作ったと言えるんです。同じ世代が年を重ねるのに合わせて、雑誌も対象年齢が上がっていってますよね。育児雑誌、中年雑誌と来て、今や老人雑誌が花盛りになっている。 一方、われわれ70年代安保世代
もうずいぶん昔のことです。 当時、すでに八十歳を超えていた母方の祖母とふたりきりで、ロンドンを旅したことがあります。 何故そんなことになったかというと、ある年のお正月、皆で祖母宅に集まったとき、私がイギリスで過ごした日々の思い出話を親戚たちに求められたのです。 それで問われるままにあれこれ語っていたら、祖母が「一生に一度でいいからイギリスに行きたい。お姫様のような旅がしたい」と言い始め、それを聞いた伯父たちが、それなら資金を出すから私が連れていってはどうか、と言い出したのだったと思います。 高齢者というのはたいてい何かしら気難しいところがあるものですが、祖母も典型的な「プライドが高すぎるめんどくさい年寄り」であり、既にまあまあ認知症も進んでおり、扱いの大変さを知っている母や叔母は強く反対しました。 祖母が海外で体調を崩したりしたら大変、というのが反対の理由でしたが、今思えばむしろ、ひとりで
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