日記が書けなくなってきた。 体調が悪くなってきてから同じ内容の日記しか書けなくない。 ブログで日記を始めてから素直な日記が書けるようになってきたと思う。続けると幅も増えた。その反面,隠しておこうと思ったり。書きたい気持ちと同じくらい書きたくない気持ちもある。 廃品回収の箱の中で文藝春秋を見つけた。「推し、燃ゆ」が全文掲載されているみたいだ。 フィクションを書いていくのがいいかも。
日記が書けなくなってきた。 体調が悪くなってきてから同じ内容の日記しか書けなくない。 ブログで日記を始めてから素直な日記が書けるようになってきたと思う。続けると幅も増えた。その反面,隠しておこうと思ったり。書きたい気持ちと同じくらい書きたくない気持ちもある。 廃品回収の箱の中で文藝春秋を見つけた。「推し、燃ゆ」が全文掲載されているみたいだ。 フィクションを書いていくのがいいかも。
今日はネタもなければ時間もないので、ただただママンの行動を記録しただけの記事にしてみました。 ママンルーティンというか、ママン日報というか…あは٩( ᐛ )و! そんなもの、需要あるのかしら( ̄ー ̄)? と思わなくもないですが、まぁ〜、こういう箸休め的な記事も、たまにはアリかな~と(^▽^;)。 ママンの映えない1日 なんだかんだ分刻み ママンの映えない1日 一応、お洗濯1回目のセットから今日のルーティンと考えて、昨日の24:00頃のことから書いてみます。 だいたい、いつもこんなような感じで過ごしております。 前にもネタに困ってこんなこと書いたような気もしますが…忘れたことは、なかったことと同義であるということで、今日もこれでいきますわ( ̄ー ̄)。 24:00 刹那と庭師就寝。 24:20 ぽやん就寝。 24:30 洗濯1回目をセットしてママン就寝。 4:45 起床。45分寝坊
人と違うようでありたい思いと人と同じでありたい思い、そのせめぎ合いが人という現象だと思う。それに合った適切なバランスが得られれば自信とか幸せとかが発生する。それを把握するには他人を知る必要がある。結局のところ、それが少なくなったのだ。不可視のものは存在しない。僕は他人も自分も見失い、ブレッブレである。 といったような調子で色々な説明ができるが、どの説明も正しく、それぞれもっともらしく、そして一つも心に響かない。個々が正しくても合計すると間違っている、そんなことがありうるのかと、しんみりとする。そんな思考状態がここ一年くらい続いて、乗り越えようと試行錯誤している。そろそろ最終手段とも言うべき手段を試すつもりだ。それは住環境の強制変更、すなわち引っ越しである。まあ、最終手段というとかっこいいが、そのかっこよさだけが先行しているに過ぎない。効果の程度は知らないがそれしか無いからそうするのが最終手
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