職場の新聞を整理しながら震災特集だけ別の束にしてファイリングして棚に下げる。きょうはやっぱりたらこご飯だな、と思う。震災の思い出はほとんどたらこご飯にある。というか、震災への気持ちが折り鶴のようなものになってしまったら終わりだと思っている。祈ればいいってもんじゃない。祈りの灯火と呼ばれる灯篭に書かれた「夢」「希望」といった子供の文字を眺めながらこころが遠くなる。これが教育なんだろうか。いや、でも、もう記憶にないのかもしれない。この生徒たちは8年前いくつだったのだろう。忘れない、と書いても、そもそも覚えていないだろうに。あのときの、あの肋骨の中がひろくなるような妙な正義感や絶望感を思い出せるものはわたしにとって灯籠ではなく3月11日に食べるたらこご飯なのだ。 黙祷まであと10分。隙を見て阿部魚店に行き、たらこを買おうとすると前で会計をしている老婦人とレジの女性が話し込んでいる。 「こったに寒