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2019年1月23日のブックマーク (3件)

  • 夫が満たした"戦友の条件"|瀧波 和賀|note

    高校1年生の頃、所属していた部活の大会で、先輩が活躍したことがあり、私は文字通り、手放しで大喜びした。 すると顧問の先生が言うのだ。 「お前、そんなに嬉しいのか?」と。 無垢な私は即答する。 「はい!!自分のことのように嬉しいです!!」 若さ故にテンションが上がりやすかったことは認めるが、誓って音だった。 しかし、先生はこう続けた。 「ふん、喜ぶなんてことはな、仲間じゃなくてもできるんだよ。どっかの知らない犬が子ども生んだって嬉しいし、長年思い出しもしない同級生が結婚したって、おめでとうとか言えるんだよ。」 15歳の私は、ふいに大人から突き付けられた「善意の否定」にパニくった。 え?ええ?別によくない?犬や結婚に喜んでも、よくない?なんで私、怒られてる?? 頭に???を乗っけていると、先生は私をにらみつけるように上から見下ろし、力強く言い切ったのだ。 「お前がこの先作るチームは、喜ぶだけ

    夫が満たした"戦友の条件"|瀧波 和賀|note
  • 母が毒親の一線をこえたあの日、子供時代が終わってしまった|瀧波 和賀|note

    去年書いたトトロの記事に、大きな反響をいただいた。 今からはじまる物語は、この記事の「ゼロ話」である。 小学3年生の初夏。 9歳になったばかりの私は、「子供の権利」を手放した。 これは、私の子供時代が、無残に終わってしまった日のお話。 ずっと消えない壊れた時間が、いまもここに、残っている。 親の毒を味わうしかない、サビシイ子供だった「わたし」から、今日もどこかで子供と関わる、すべての人へ。 「好きじゃない方の子供」だった、わたしひとつ年下の弟がいる。 3歳くらいのときから、母は私よりも弟のことがカワイイのだな、とハッキリ理解していた。 誰になにを言われるでもなかったが、ちょっとした声かけや態度の差から、幼いながらに読み取れたのだ。 例えば保育園の帰り道。 歩いていて転んだとき、母は私に「も~なにやってんのよ、大丈夫?」と迷惑そうな視線をよこした。 しかし弟が転んだ時には、言葉より先にかけよ

    母が毒親の一線をこえたあの日、子供時代が終わってしまった|瀧波 和賀|note
  • こだわりの、真っ青なぬりえ|瀧波 和賀|note

    コノビー編集部に配属される以前、私は社内の児童発達支援部門に所属し、療育教室の指導員をしていた。 療育というのは、簡単に言うと、主に発達障害のあるお子さんに対して、人の能力を伸ばすべく、専門的な授業を行う通所支援機関のことである。 学校というよりは、塾や習い事教室に近いと思って欲しい。 そこで数年間、「わか先生」をやっていた。 たくさんの未就学児を担当したが、どのお子さんもそれぞれに可愛く、当然ながら個性もそれぞれで、貴重な幼少期に関われたことに、今も感謝が絶えない。 全員がほんとうに大好きだったが、特に印象に残っている生徒が何人かいる。 今回は、とある年長の男の子との思い出を書いてみたい。 彼は、真っ青な少年だった。 年長さんになったばかり、5歳の彼とはじめて会ったときから、小学校に送り出す次の春まで、彼のファッションは、見事なまでに青一色だった。 服だけでなく、リュックもも、手に持

    こだわりの、真っ青なぬりえ|瀧波 和賀|note