2020年5月9日のブックマーク (3件)

  • 演劇界が嫌われちゃった。|武藤賀洋

    令和2年9月25日追記 オピニオンサイト iRONNA様にて、記事を加筆修正したものを寄稿いたしました。 詳しくはこちらからご覧ください。 ▼今回の記事は、賛否両論、お叱りもあると思って書いている。 この新型コロナウィルスの禍の中にあり、演劇界が嫌われている。 この記事を書こうと思ったきっかけは、ぼくのTwitter(質問箱)に以下のような質問が来たからだ。 そうなのだ。演劇界、世間に知らたけど嫌われちゃったのである。 この記事では、演劇界に対する考えを書いておきたい。 ぼくのような無名の舞台演出家が何を言っても、世の中にはさざ波も起きない。それでも、少しでも…ぼくの考えを書き、演劇界が良い方向に変わっていく事ができればと思っている。 演劇界の末端に身をおく、舞台演出家のはしくれとして、今の現状とこれから何をすべきなのか…考えてみた。 ▼結論をかけば、ぼくはこの新型コロナ禍あろうがなかろ

    演劇界が嫌われちゃった。|武藤賀洋
    oh_yeah_kimio
    oh_yeah_kimio 2020/05/09
    その理屈でいくと安定した収入がなく資産が凄いわけでもない人間なんて演劇界に限らず全員信用ないわ。大家は安定した家賃収入が欲しいだけやぞ。
  • 『グノーシア』はなぜ「革新的なアドベンチャーゲーム」と呼ぶにふさわしいのか。100回以上のループをプレイヤーに体験させ、AIに人間味を感じさせる野心作

    たとえばまったく知らない誰かと知り合い、その人と関係を構築するとしよう。まずその人のバックグラウンド、社会的立場、あるいは人生の経験を知ることが必要になるだろう。つぎにその人の発言、ものごとの選択の傾向、考え方だ。それらは人を知る上で重要なエレメントと言える。 しかし、当にその第三者に人格を感じ、一種の親愛の情を感じるためには、それだけでは不十分だ。その性格や個性に基づいた傾向が、“ある意味”で完全に機能していなければならない。つまり、傾向に基づく選択に一切の「ぶれ」が“ない”場合、人が他者に人格を感じるのは実は非常に難しいということだ。 人は自分自身が不完全で不確実な生き物であることを承知している。ゆえに、ほかの誰かが人間であることを確信するために、その選択や決定が場合によってぶれることに注視する。つまり弱さや曖昧さを見ることで、「人間の証明」をするわけだ。完全に揺れないものは、崇拝や

    『グノーシア』はなぜ「革新的なアドベンチャーゲーム」と呼ぶにふさわしいのか。100回以上のループをプレイヤーに体験させ、AIに人間味を感じさせる野心作
    oh_yeah_kimio
    oh_yeah_kimio 2020/05/09
    10周目、20周目「そろそろ面白くなるのかな?」と期待したが30周目でもう諦めた。メタ推理が面白い人狼なのかな…。絵は最初苦手だったけどやってるうちに愛着でてくるので!
  • 『野ブタ。をプロデュース』が想像していた話と全然違って泣いた - あすなこ白書

    『未満警察 ミッドナイトランナー』の延期を受けて、代わりに『野ブタ。をプロデュース』(以下:野ブタ。)の再放送が始まった。『野ブタ。』があった2005年、山Pの茶の間ヲタ(テレビ前で応援するファン)を経て、なぜかオーランド・ブルームに熱を上げていた10代の私は『野ブタ。』を一度も見たことがなかった。 そもそも内容を知らない私は、『野ブタ。』は「スクールカースト覇者の修二と彰が、ダイヤの原石こと堀北真希を人気者にして共に青春をエンジョイする話」だと思っていた。このように書くと大きく違わない気もするけれど、私が思い描いていたような学園シンデレラストーリーではなかった。少なくとも「ブスだと虐められていた女の子が美人になって人気者になる」的な、単純なルッキズムの話ではない。あとこれが一番衝撃なのだけど修二と彰はシンメではなかった。繰り返す。修二と彰はシンメではなかった。あんなにも「俺たちはいつでも

    『野ブタ。をプロデュース』が想像していた話と全然違って泣いた - あすなこ白書