「ミサイル発射、慌てるな」 戦後の台湾で、共産党の中国と対峙(たいじ)する一方、独裁的だった国民党政権を、内部から民主化した元総統の李登輝(り・とうき)。一滴の血も流すことのなかった「静かなる革命」と称された。日本統治時代の台湾に生まれ、京都帝国大学(現・京大)に学び、「22歳まで日本人だった」と話す。今年1月に満96歳となった李の人生を通し、日本や台湾、中国、米国などが複雑にからみあう東アジアの現代史を見つめ直す。(敬称略) 「2、3週間後、弾道ミサイルを台湾に向け発射するが、慌てなくていい」 台湾はすでに真夏を迎えていた。1995年7月初めのこと。台北市内の曽永賢(そう・えいけん)(1924年生まれ)の自宅に1本の電話がかかってきた。曽は、このとき現職総統だった李登輝(1923年生まれ)を総統府で補佐する「国策顧問」だった。 通話はすぐ切れた。発信地は不明。だが曽は、中国共産党トップ層