中世において、大江山の酒呑童子(しゅてんどうじ)と並び称されるほど人々に恐れられたのが、鈴鹿山を根城とする大嶽丸(おおたけまる)であった。酒呑童子の身の丈2丈(約6メートル)というのも驚異的だが、こちらはさらにその上、何と10丈(約30メートル)もあったというから恐れ入る。この数値は、室町時代にまとめられた『御伽草子』(室町物語)に記された説話「田村の草子」に登場するもので、もちろん、作り話であることはいうまでもない。それでも、大江山が山陰道の、鈴鹿山が東海道の要所であったことから、そこにはびこる盗賊たちの暗躍に、民衆ばかりか、時の政権までも大いに頭を悩ませていたことは間違いない。その恐れが、盗賊たちを恐るべき鬼としてイメージされ、時代を経るにつれておぞましさが増幅。ついには、奇怪な妖怪にまで変貌して語り継がれたのだろう。 その征圧に、桓武天皇の御代に征夷大将軍として蝦夷(えみし)征伐に功