総合 すとくいん 1119‐1164(46歳) 平安時代後期、第75代天皇。在位1123‐42。 別名:讃岐院 【基本情報】 元永2年5月28日生まれ。鳥羽天皇の第1皇子で母は藤原璋子(待賢門院)である。父の譲位により5歳で即位。実は白河法皇の皇子といわれ、院政をしく鳥羽法皇の意向で、3歳の異母弟近衛天皇に譲位させられた。近衛天皇の死後は同母弟の後白河天皇と対立、保元の乱を起こすも敗れ、讃岐(現在の香川県)に流された。長寛2年8月26日讃岐にて死去。死後、都に様々な不幸が起こったので、崇徳天皇の恨みではないかとうわさされ、怨霊としておそれられた。墓は白峯陵(香川県坂出市)にある。諱は顕仁(あきひと)(1)。 【伝説・イメージ】 波乱に満ちた人生の為か、崇徳院にまつわる伝説や説話、ある種のイメージというものが多数存在する。 『古事談』 『古事談』は崇徳院の出生の秘密を扱っている。崇徳院は鳥羽