灰色の空がやって来て 冷たい雨が降った。 ざーっと通り過ぎた後に 青い空が広がった。 山の上に 小さな雲がぽっかりと浮かんでいるのが とてもいいなあと思った。 銀杏の葉が黄色に変わり 桜の葉が少し色づいた。 突然やった来た秋なので まだ 夏を引きずり 夏服の上に一枚一枚と重ね着している。 先日生けた 淡いピンクの大輪のダリアが テーブルの上で優しい。 後何日この花が 物に溢れた小屋を 明るさで包んでくれるのか。 そんな事も思った。
ダリア 沢山のダリアをもらった。 夏の名残りの花と言おう。 大輪の淡いピンク オレンジ 白と赤の花びらの。 全部で30本ほどもあるだろうか。 これは嬉しい。 秋明菊がポツリポツリ ある所には群れて 咲いているが 白い花びらは 冷たい秋風に寂しい風情だ。 広口の花器に ざっくりと入れようかと思ったが 紺色の花瓶には オレンジを もう一つの紺色の花瓶には 淡いピンクを合わせ これらは「二坪小屋」に。 残りの15本ほどの 淡い大輪のピンクは ベージュの砂色の花器に挿し 「小屋」に置いた。 空間が明るい。 オレンジのダリアと紺色の花瓶は フランスの感じがすると 密かに喜んだ。 こんなに喜べば 持ってきてくれた人も きっと満足だろうと思う。
集落あたりでは すでに茗荷の盛りは過ぎたが 「小屋」のそばでは まだ少しは採れる。 今日は クリーム色の花をつけた茗荷を見つけた。 柴漬は 茄子 赤紫蘇の葉と茗荷で作る。 塩を振って樽に詰めていき 後は時に任せて 発酵を促すだけ。 茗荷のとても美しく 美味しい食べ方だ。 柴漬を細かく刻み ちょっと醤油を垂らして 炊き立てのご飯に載せて食べる幸せ。 作り方を知ってはいるが 私は作った事がない。 集落の家の周りには それぞれに 茗荷と赤紫蘇の畑がある。 集落の人達が 柴漬を作らなくなった今 使われる事もなく 毎年 夏の終わりには 赤紫蘇は薄紫の花をつけ 茗荷は地面に クリーム色の儚い花を咲かせている。
ひよこ豆のカレー うちから車で15分ほどのところに 山小屋を借りている若い友達がいる。 小さな可愛い小屋で 山間なのに 前が開けて 空が広い場所だ。 その友達から ひよこ豆カレーを作るからとLINEがきた。 若い男の子の友達も同席し そして 男の子が豆腐ケーキを持ってくるとか。 珍しさ半分 期待半分で ランチに行ってきた。 水に浸けて芽が出た発芽玄米のご飯。 肉代わりにひよこ豆と刻んだ野菜のカレーで 市販のルーは使っていない。 人間は元来草食動物で 動物タンパクはいらない という彼女の持論に沿って作られたカレー。 茄子のナムルのバルサミコ酢和え ブロッコリーの自家製マヨネーズ胡麻入りも並んだ。 米も野菜も友達が育てたものだ。 豆腐ケーキ 男の子が作った豆腐ケーキは 全くチーズケーキだった。 豆腐2丁に米粉 オレンジパウダー。 それだけを オーブンで焼く。 淹れてもらったコーヒーは濃く苦く
午後5時 昨日は 食材を買いに琵琶湖畔まで行った。 帰ってきたのが 夕方5時。 夕暮れが早くなった空に浮かぶ 美しい雲を見た。 雲は 銀色に輝いて西に流れて行った。 広がる力芝の群生は 盛りをとうに過ぎた。 北風が 秋明菊の茎を無惨に倒して行き 私は もうすでに木綿のストールを 首にぐるぐる巻いている。 今年の早い秋は 意地悪だな。 そして 生ゴミを埋めた土から実をつけた 唐辛子2本の話。 包丁でチョップした鶏胸肉に 味噌と生姜のみじん切りを加えて クルクル丸めた団子。 それを かぼちゃの黄色いシチュウに 入れて煮込み 干し葡萄も加えた。 鉢によそったかぼちゃシチュウ。 最後に 摘んだ唐辛子2本を 薄く輪切りにし散らした。 ちゃんと唐辛子の強い香りがした。
8月に友達にもらった ミニ冬瓜の皮と種を いつもの様に 土に埋めた。 半坪ほどの小さなスペースだ。 しばらくして かぼちゃの様な芽が出 蔓が伸び 黄色の花が咲いた。 そして ミニ冬瓜が生った。 夏になり 殆ど毎日食べている唐辛子。 その種を埋める。 そこから芽が出て 白い可愛い花が咲き 今日 実がなっているのに気がついた。 トマトも黄色の小さな花が咲く。 でも 実までは生らない。 今日 冷たい雨が降り 北風が吹いた。 私は 木綿 の半袖Tシャツに フリース そして フランネルのシャツを着ている。 小屋の中では ストーブに朝晩薪をくべた。 そんな日々に 黄色の冬瓜の花が咲き 実が生り 唐辛子が生っている。 こんなものなのか?
真新しいアスファルト道路を歩く。 黒い輝きが美しい。 除雪ブルドーザーで痛めつけられた道と違う 滑らかな感触が 靴の裏から伝わる。 その上に散った沢山の枯葉たち。 黄色 茶色 薄茶色 スマホをズボンのポケットから出し 1枚 2枚と撮る。 風が吹けば どこかに行ってしまう。 車が走れば 踏まれてしまう。 道端にかたまると その下に虫が潜み もう 会っても分からない。
稲刈りの終わった田から 立ち上る煙。 なんと平和な風景だろう。 少し靄のかかった空と山々の下の田んぼは 山の村に広がる大きな空間だ。 ここには広い空がある。 塩分と油を控えていたら 毎食のおかずが頼りない。 そこで 沢山もらった茄子とピーマンの一部を キャノーラ油で素揚げにした。 希釈した麺つゆに 熱々の茄子とピーマンを 次々と浸していく。 鷹の爪と青い穂紫蘇を加える。 ピリッとした味 爽やかな紫蘇の香り。 時間が旨みを増してくれるおかず。
山の色が変わってきた。 濃い緑の塊のようだった山の姿は 今は色褪せているのに 驚く私だ。 朝の鳥の鳴き声が様々で 一体どれだけの鳥が 小屋の周りを飛び交ったり 枝に留まって 鳴いているのか。 本というのは不思議なものだ。 私の場合 音楽でも 絵でも感じられない 心の浄化作用 と言えば少し大袈裟? 例えば 今私は「メインの森」を再読している。 「森の生活」のソローが メイン州を旅した時の細かな記録だ。 19世紀半ばのメイン州の森の奥深く 友達と案内人のネイティブアメリカンと三人で 未開に近い森を ある時はカヌーで ある時は徒歩で 野営をしながらの旅。 針葉樹の枝を切り それを重ねてベッドにし 木綿の布を枝にくくりつけテントにし 周りにふんだんにある木を 景気よく燃やし 暖をとったり 服を乾かしたりと キャンプの原点を知る。 下を向いていた心が ソローと深い森を歩いている。 世界は広いのだと
小松菜 日常となった豪雨 強風のニュース映像。 気まぐれな日々の荒い天気が 急にストンと秋になった。 私の住んでいる地域の話。 小雨は途切れ途切れに降り 空は灰色だったが 昼間の湿度の低い空気と風。 気持ちのいい日だった。 うちの小屋の周りに棲息している 蛇(マムシ)に今年はよく出会う。 仕事場の壁に 脱皮した跡を残したり 草の中から 子供の蛇が慌てて逃げたり 人間の気配を感じて 秋明菊の奥に入り込んだり 道路で車に轢かれていたりする。 「クワバラ クワバラ」 苺の苗を植えている鉢に カタバミ ドクダミ そして 小松菜が顔を出している。 どうやって 小松菜の種が飛んだのか? 不思議な事ばかりだ。 芒が 今を盛りと広い休耕田 河原で穂を揺らし 薄茶色の綿毛を飛ばし始めた。
陶鈴「牛」 雨が降ったり止んだりで 植物はちょうど良い具合に水を吸っただろう。 夕暮れには 山が霧に包まれた。 朝から シジュウカラは忙しそうで 私がドアを開けて外に出ると 急に警戒音を発する。 「ジュジュジュ」 シジュウカラとは違う 少し小さな鳥は 白の百日紅の花を咥えて 私の近くを飛び そして 山に消えた。 花を食べる鳥? なんという鳥だ? 「よく見ると可愛いな」と思った。 小さな陶の牛の鈴。 テーブルの上に載せて あっちに向けたり こっちに向けたり。 草原にいて 話をしている感じを写真を撮った。
さつまいもを沢山貰った。 名前は忘れたが 芋の色がオレンジに近いのと 白っぽいのと。 オレンジ色のは 甘くて少しの粘り気があり 白いのは あっさりとしている。 どちらも好きだが 砂糖 小麦粉を使って作る菓子より体に良さそうだ。 収穫した後 しばらくおいてからの方が美味しい。 知ってはいるが 朝食の後に早速炊いてみた。 皮をつけたまま 乱切りにし 耐熱容器に並べ 水を1センチ程。 ラップをかけて 電子レンジで「チン」した。 600Wで10分 ただそれだけ。 ホクホクに炊いただけのさつまいも。 竹のざるに入っている蒸した芋。 その上に 何回も洗って 少し黄ばんではいるが 清潔な布巾がかかっている。 この情景は 私の子供の頃のうちのちゃぶ台か? それとも 映画か 読んだ本に出てきた映像なのか? どちらにせよ 私の好きな暖かで平和な情景だ。
朝に鳴く鳥の声に 今までに聞いたことのないのが加わる。 馴染みのシジュウカラに ギターの低い弦の音のような鳴き声が重なる。 それを聴きながら 朝ご飯のパンを齧り ミルク紅茶を一口啜る。 ポプラの木の葉に 金色の毛虫が群がるのは 毎年の夏の終わり。 その毛虫が好物の野鳥が ポプラに群がり 食べる音が 微かに聞こえる。 そして 昼ごはんの後に ポプラの下を用事で歩いた後 ちゃんと私の肩に 小さな金色の毛虫が2匹。 驚いたのは勿論だ。 夕方の空 それは美しいものだった。 ぐるりと見回した空に 淡いピンクとグレーの雲。 日暮れが30分早くなった。 吉増剛造と並行して ソローの「メインの森」を再読している。 1800年半ば アメリカ メイン州の奥地に分け入り 無制限なヘラジカ狩り ストロープ松の乱伐に接し 自然破壊 環境問題も提起している。 そして リュック一つの キャンプの原点とも言えるタフな旅だ
午前10時 山間の日の出は遅い。 山の後ろから太陽が顔を出すのは 9時を回ってからだ。 太陽が顔を出すと 白い霧が消える。 その霧と夜露で濡れた草木 土が キラキラと光り 歩く私の靴も濡れる。 数年も前に植えた花の種が飛んだのか あちこちに その花が草に混ざって咲いている。 例えばゲンノショウコ ツユクサの群れの中に。 そうだ 先日聞いたお茶の話。 奥の集落で 山野草や山菜に詳しい女性がいる。 彼女のお茶は 桑の葉を積んで乾燥させたもの。 一年中飲んでいると聞いた。 今の季節 ピンクや白のフウロのような 花を咲かせるゲンノショウコも摘んで乾かす。 胃腸の薬で重宝していると話す。 周りを見渡せば 漢方薬の宝庫の地。 その話を聞きながら 桑の葉茶には 興味が湧いた。 D.H.ロレンスの小説「息子と恋人」に 炭鉱夫の父親が毎朝仕事に出る前に 梁に吊るして乾かしたヨモギを 煎じて飲む章がある。 半
蔓穂(ツルボ) 10日 朝。 霧で周りの山が見えなかった。 その霧が晴れると 雨が降った後のように 草や木々 道が濡れていた。 それが とても爽やかな美しさだ。 今日私は何をしたのか? 毎日の家事 仕事をして 合間に吉増剛造を読んだ。 ウォーキングの時に かわいいピンクの花 蔓穂を見つけ 屈んで写真を撮った。 夕方の空を見上げて 雲が美しいと思った。 小屋のそばに植っているミントを摘んで それを刻み クッキーの生地に練り込み焼いた。 深夜に1日を振り返り 何か足りないと思う。
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