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ブックマーク / finalvent.hatenadiary.org (3)

  • 粘り強くあいまいさに固執すること - finalventの日記

    cakesに連載している書評の、五木寛之『風に吹かれて』の回(参照・後編)で、テーマに近いながらも、あえて扱わなかった話があり、書かなくてもよいのだけど、なんとなく気になるので書いておきたい。 扱わなかったのには理由があった。一つは、版によっては関連の章が掲載されていないことだ。もう一つはメッセージの受け取りが難しいことだ。 風に吹かれて (角川文庫) 五木寛之自選文庫 エッセイシリーズ cakesの連載書評には、「新しい古典」と通しタイトルがあるように、これからの時代で新しい古典として読まれそうな書籍を扱っているが、古典であることの条件の一つは、読み継がれることだ。そして「読み継がれる」というのは多くの場合、いくつか異なる版の存在を意味する。 そこでまず、初版・初出と現在流布している版の比較が重要になる。『風に吹かれて』についても、いくつかの版を検討したところ、ごく基的なレベルで、掲載

    粘り強くあいまいさに固執すること - finalventの日記
  • cakesの書評のこととか - finalventの日記

    今日、cakesの連載に、五木寛之の『風に吹かれて』の書評が出るはず。あるいは明日かな。 結局、前半と後半に分けることになった。 ⇒新しい「古典」を読む|finalvent|cakes(ケイクス) 今回のテーマは、前回もそれに近かったが、自分で選んだ。このテーマの選び方が難しいなと思う。 椎名誠のときは、編集側から、「一度、椎名で」という感触があり、編集側では、作家としての椎名の小説が念頭にあったのではないか。初期三部作。で、私の場合は、結局、『さらば国分寺書店のオババ』とした。自分の思い入れがいろいろあり、そこから見える椎名の質みたいなところを書きたいと思った。この書籍は、ある年代はほとんど読んでいるが、長く、意図的に絶版に置かれたせいか、若い世代は読んでいない。若いといっても、40代も入ることがある。むしろ、椎名にこの著作があることが、え?という人すらいる。 その意味で、その「え?」

    cakesの書評のこととか - finalventの日記
  • どう生きたらいいかを考えさせる本 - finalventの日記

    どう生きたらいいかを考えさせるなどといった話題は書くものではないと思っていたが、ちょっとした機会でもあるので簡単に書いてみたい。 人生とは何かということをもっとも究極的な形で描きだしているのは、ドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」(参照)だろうと思う。が、これは万人向けではない。皆目わからない人もいる。お薦めはしづらい。 日人として生きていて、人生で突き当たる質的な問題を実験的な形で描いていったのは夏目漱石の小説である。極点は「明暗」(参照)だろうが、できれば、その他の小説から読み進めたほうがよい。おそらく日近代の知識人が抱える質的な問題が、人によってはということはあるだろうが、自分のことのように問われている。 このブログを書き始めてからはなぜか言及してこなかったが、ドストエフスキーやら漱石といった、いかにも文学というものでなければ、山周五郎の小説を薦めたい。人情と人生とい

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