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ブログを書きながら時折、何故自分はこんなことをしているのだろうと考えることがある。 駆け出しといえど、金をもらって書く身である。 映画や書籍のレビューなど、依頼されて書いたのであれば、5000円ほどは請求するような文字数だ。もちろん趣味の書き物だから、売り物と違ってラフな書き口ではあるが、それだって努力がゼロかと言われればそうでもない。それなりに頭はひねるし、確実に時間と打鍵コストはかけている。 金がもらえるわけでもなく、日々の記録になるわけでもなく。貧乏人の私はなぜ、こんなことを続けているのか。 そんなことを考えていると、村上春樹の文章に行き当たった。内容は読者とのQ&Aで、読者は就活で「自分について書け」と言われ、途方に暮れているのだという。 村上春樹はその読者の悩みを拾い上げて、「カキフライについて書く」ことをすすめる。 (私が理解したところの)村上のロジックはこうである。 人は自分
本日も素人さんの原稿をチェックしているのですが、先日少し書いたように「特にこだわりがなければ開いた(平仮名にする)ほうが読みやすくなる表現」の一覧をザッとまとめてみました。まったく意識していない人が少し気をつけると、かなり変わります。 pic.twitter.com/kP5gq2aFbR — たられば (@tarareba722) May 30, 2015 先ほどの「開いたほうがいい表現」って、たぶん中学校くらいの体育教師が「走るときはアゴを引いたほうがいい」とか「腕は進行方向にまっすぐ振ったほうがいい」というような話なので、自己流で定着した走り方が楽だったり、もっと専門的な走り方が身に付いている人には関係ない話だとは思います。 — たられば (@tarareba722) May 30, 2015
父が死んで1年になる。去年のことや父のあれこれを、ぽろぽろ思い出してる。 一人暮らしのアパートで亡くなった。64歳だった。 遺品整理で父の部屋を見たときにノートが何冊もあった。父の端正な字でびっしり埋められていた。そんなものを書いているとはまるで知らなくて、目にした瞬間驚いたというか、身震いするような衝撃だった。なにか途方もない感じがした。 父にはほとんど知人がいなかった。離婚したけれど母が同じ市内にいてときどき連絡をとっていたのと、遠く離れて暮らす僕だけだった。趣味もとりたてて持っているわけではなかった。他人から見れば、ただ意味もなく日々を過ごしていた「独居老人」の「孤独死」ということになるんだろう。 確か2006年の冬ごろ、おばあさんの孤独死のニュースを報道ステーションで扱っていたことがあった。わざわざおばあさんの自宅前でリポートして、おばあさんが友人も趣味もなくただタバコを吸うのを楽
私が子供の頃住んでいたのはたいそうな田舎だったのですが、その中でも我が家は更に辺鄙な場所にありました。 幼稚園に入るまで、妹と私はお互いだけが遊び相手でした。我が家の半径3km以内には、他に子供がいなかったからです。 そのせいでしょうか。 幼稚園に入ってすぐに私は、自分の対人スキルが同年代の子と比べて大幅に劣っていることに気付きました。 遊びの仲間に入れない。 たまに入れてもらってもどんくさくて、みんなをイライラさせてしまう。 遠いとおい昔のことなのに、入園当時にあったいろんな出来事を、私は今でも思い出せます。 それだけ毎日緊張して過ごしていたのでしょう。 自分が他の子供と上手く遊べないことに気付いた私は、自分の何がそれほどまでに駄目なのか、いっぱい考えるようになりました。 かなしくて苦しかったですが、ぎゃんぎゃん泣きながらお母さんに引きずられて幼稚園にやってくる子が他にいたりしたので、自
32歳っつー、軽い熟女になりつつあるわけですが、 股間が全然社会に出てこない。 義務教育が終わらない。 かと思えば、最近は小学生でも、なんていうか、男女の戯れっていうか、そういうの、あるらしくって。 やれ、ポルノを規制しろだの、少女漫画の過激な表現がどうのってね、言われてますけどね。 擦り切れるほど見たっつーの! 血ぃ吐くほど読んだっつーの! 小学生の頃から、20年以上。 二次元から三次元、文章から映像にいたるまで、 数々の股間たちが私の横をすり抜けて、リングに躍り出ていくとこを見てきた。 ほら、私なんて小学生から早々に嗜んできたわけだから、 きっと早めにお声がかかるだろうと思ってね、 いつレニー・ハートにあの巻き舌でコールされてもいいように、 ほんとアキレス腱とかね、超伸ばしてたわけ。 手首とかね、すげぇ振ってたわけ。 まさかのアップで32年。アキレス腱もだいぶ伸びた。 考えたくないけど
東京に上京してきて50年。貧しい戦後日本を生き抜き、バブル経済とそのクラッシュを経験し時代に翻弄されつつタクシードライバーを続けながら、趣味の造形活動を続け、現在に至る。美術教育は一切受けていない。 鳥、魚、蝶、飛行機、人体のシルエットを厚紙に写し、それをカッターで切り抜き、日曜大工用のペンキで着色。既存の芸術の価値観とは遥か遠く、一般的に見て無意味な造形物を造り続けている。 展覧会のタイトル「グッドタイミングクラブ」の由来は、「人生いつでもタイミングが重要。 グッドタイミングが一番」と、戦後の流行歌、坂本九の「ステキなタイミング」を座右の銘とした村上福寿郎その人を表す前向きな思想のキャッチフレーズ。 今回の出展作には東日本大震災の発生時に制作していた作品もあり、震災で受けた思いを乗せた作品も多く展示致します。 戦後を生き抜いてきた一個人の時事雑感をのせ、愛情、ユーモアとペシミズムのないま
石原慎太郎氏が、芥川賞の選考委員を辞退する意向を表明した。 18日付のMSN産経ニュースは、知事の様子を以下のように描写している。 『芥川賞の選考委員を務めている東京都の石原慎太郎知事は18日、「全然刺激にならない」として、今回限りで選考委を辞退する考えを明らかにした。 石原氏は報道陣に対し「いつか若い連中が出てきて足をすくわれる、そういう戦慄を期待したが、全然刺激にならないからもう辞めます」と語った。――後略――』 辞意の背景には、前日の夜に発表された第146回芥川賞の受賞者である田中慎弥氏が、受賞記者会見で述べた言葉が関係している。以下、引用する。 『 ――まず一言 「確か、(米女優の)シャーリー・マクレーンが何度もアカデミー賞にノミネートされた末にようやく取ったとき、『私がもらって当然だと思う』と言ってたらしいが、だいたいそういう感じです」 《会場、爆笑》 「4回も落とされたので、断
内田樹「呪いの時代に」~異常なまでに攻撃的な人が増えていませんか 他人を誹謗中傷する人、憎悪と嫉妬を撒き散らす人 自己の正当性ばかりをやたら主張する。他人の揚げ足を取っては喜ぶ。他者の痛みに思いが至らず、幼稚な論理を振り回す。気持ち悪い、変な人間がこの国を跋扈している。あなたの周囲にもいますよね。 呪いをかける人たち 現代日本社会は「呪い」の言葉が巷間に溢れ返っています。さまざまなメディアで、攻撃的な言葉が節度なく吐き散らされている。 現実に、ネット掲示板に「死ね」と書かれ、それにショックを受けて自殺する人たちがいる。これを「呪殺」と呼ばずにどう呼べばいいのでしょう。 中世までの日本人は、呪いの実効性を信じていました。実際に呪いや祟りで人は死に、それに対する呪鎮の技法も存在した。現代人は、呪いなどというものは存在しないと思っています。でも、私たちの社会でもやはり呪いは活発に機能しています。
萩原朔太郎 老いて生きるということは醜いことだ。自分は少年の時、二十七、八歳まで生きていて、三十歳になったら死のうと思った。だがいよいよ三十歳になったら、せめて四十歳までは生きたいと思った。それが既に四十歳を過ぎた今となっても、いまだ死なずにいる自分を見ると、我ながら浅ましい思いがすると、堀口大学(ほりぐちだいがく)君がその随筆集『季節と詩心』の中で書いているが、僕も全く同じことを考えながら、今日の日まで生き延びて来た。三十歳になった時に、僕はこれでもう青春の日が終った思い、取り返しのつかない人生を浪費したという悔恨から、泣いても泣ききれない断腸悲嘆の思いをしたが、それでもさすがに、自殺するほどの気は起らなかった。その時は四十歳まで生きていて、中年者と呼ばれるような年になったら、潔よく自決してしまおうと思った。それが既に四十歳を過ぎ、今では五十歳の坂を越えた老年になってるのである。五十歳な
《千の注釈》 「長過ぎる注1,001『忘却』」から続く ●長過ぎる注1,002「地上」(2020年1月〜2022年1月記) 北緯40度42分46.8秒、西経74度0分48.9秒を上昇して行くエレベーター。今日の「人類」の事実上の「標準」暦であるところの「共通紀元(Common Era:CE)」=「イエス・キリストの年(Anno Domini:AD)」(注1) 換算で「1500年」に「地下世界」を出発した籠(Car)が、その20年後(「1520年」:動画開始後6秒後)に「地上世界」に出ると、果たしてそこは、後にイングランド人の「探検家/探検業者」ヘンリー・ハドソン──「1611年」に死亡したと「推定」されている(彼の死亡を正確に裏付ける「記録」は存在しない)──の名に因んで「ハドソン川(Hudson River)」と呼ばれる事になる河川の河口付近の浅瀬の中だった。川の向こう側に見える陸地は、
おハロー。 聖おにいさんはオサレというのよりサブカル臭。それも悪いタイプの。 http://anond.hatelabo.jp/20081210172325 とても根が深いサブカルミーハー問題。『このマンガがすごい2010』を読んで。 http://anond.hatelabo.jp/20091216230059 「このマンガがすごい!」は罪深い延命装置。もう犠牲者を増やすな!! http://anond.hatelabo.jp/20111224192828 を書いたぼくだよ。みなさん自意識丸出しでごちゃごちゃ言ってくるんで、胸焼けするぐらい非常に切ない気持ちになりました。なんというかもう……。 「かわいそうだね?」 って言葉しかでてきません(おっと、つい芥川賞受賞作家ネタが飛び出しちゃったよ。やべー、まさかここで芸術に携われる人間だったら絶対にチェックしておくべき、芸術を理解できないやつ
東日本大震災から半年が経過しようとしている。 個人的には、3月11日からの半年間で、時代がすっかり変わってしまった感じを抱いている。 震災以前の出来事は、たった1年前に起きた事件であっても、遠い昔の記憶であるように感じられる。不思議な感覚だ。 震災を契機として、具体的に何が起こって、われわれの精神のどの部分がどんなふうに変化したのかについては、今後、長い時間をかけて、じっくりと検証しなければならないのだと思う。が、細かい点はともかく、わたくしども日本人の時代認識が、震災を機に変わってしまったことは確かだ。 一例をあげれば、「戦後」という言葉が死語になりつつある。 これまで、昭和が終わって元号が平成に変わっても、二十世紀が二十一世紀に移っても、「戦後」という時代区分は不動だった。で、その言葉は、つい半年前まで、国民の間に広く共有されていた。 それが、震災を経てみると、「戦後」は、にわかに後退
実際は全く本を読まなくなったというわけではないのですが、この一年くらいは、人生で一番本を読んでいません。 「やめるぞ!」という決意があったわけでもないのですが、何となく読まなくなりました。 子供の頃は、とにかく本を読むことだけが唯一の楽しみで、人生を通じて酷い活字中毒が続いていたのですが、晴れて毒が抜けてきたのかもしれません。 おそらくは、書記的なものの見方、模式的に言えば、通時的であるよりは共時的、機能的であるよりは構造的、不可逆的であるよりは可逆的、そうした思考法に浸かって成長し、同時に、この枠組の中で非-書記的なるものへと接近しようとするような試みを繰り返してきた訳ですが、いい加減そんなものも馬鹿馬鹿しくなってきたのでしょうか。 誤解を恐れずに端的に言い切ってしまうなら、わたしは字が読めなくなりたいのです。 字が読めないというのは、何という素晴らしい世界でしょう。 正確に言えば、字が
「これを読まずしてラテンアメリカ文学を語るなかれ」と強力にプッシュされる。なるほど、「全部アタリ」「珠玉の」という形容がピッタリの傑作選(Motoさんありがとうございます)。 短篇の名手といえばポーやチェホフを思い出すが、コルタサルやオクタビオ・パスは、そうした名人をベースに、まるで違う世界を紡ぎだす。"マジック・リアリズム"なんてレッテルがあるが、むしろ「奇想」というほうがしっくりくる。完全に正常に、誰も思いつかないような異常を描く、奇妙な想像力を持っている。 瞠目したのが、「遊園地」を書いたホセ・エミリオ・パチェーコの奇想力。読むという行為で脳裏に形作られる世界が一巡したら、その世界に閉じ込められている自分に気づかされる。「読む」ことは、物語世界を取り込むことなのに、取り込まれてしまう。見ている自分が見られてましたという、人を喰ったというよりもわたしが食い尽くされるよう。 さらに、奇想
RSS 小西康陽・軽い読み物など。 小西康陽 音楽家 NHK-FM「これからの人生。」は毎月最終水曜日夜11時から放送中。編曲家としての近作である八代亜紀『夜のアルバム』は来年2月アナログ発売決定。現在、予約受付中。都内でのレギュラー・パーティーは現在のところ、毎月第1金曜「大都会交響楽」@新宿OTO、そして毎月第3金曜「真夜中の昭和ダンスパーティー」@渋谷オルガンバー。詳しいDJスケジュールは「レディメイド・ジャーナル」をご覧ください。 pizzicato1.jp http://maezono-group.com/ http://www.readymade.co.jp/journal ターンテーブルの横に鋭利なペイパーナイフがある。12インチ盤や米国盤の新譜のファクトリー・シールを開封するために買ったのだが、最近は殆ど出番がない。先日、一枚だけ封を開けて聴いた日本の若いミュージシャンの作
そこには希望だけがあった。ただの希望ではない。ガムを買ったくじ引きで当たったふたつ目のガムのような希望だった。欲していたものはいらないものだったのに、それを告げることができないで躊躇している。 垂直に、次々に落下する雷をみながら、まるでライブ会場にいるみたいと言ったある人の言葉は、ちょうどサルトルの『一指導者の幼年時代』の主人公が森をみて、これはぜんぶ材木でできているんだねと言ったセリフを思い出させた。 模倣がオリジナルである時代は希望しかないが、その希望はいらない希望でできていた。 私はまだいけない夢を見ているのだろうか 凍った蓮華蜜を熱いミルクで溶かす すると間違いのような春がやってくるのだが 夢の高度を保てぬ者には苦しむことの自由さえ訪れまい けっしてまっすぐには進まない言葉を使って事物に向かってまっすぐにすすむこと、それだけが試みにあたいする。レールのように、曲がっているのはまっす
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