【独自激白】“指名候補”駒井千佳子さんと“指名NG”鈴木エイト氏が心情激白!駒井さん「すごく心外だし正直迷惑」鈴木氏「わざと下手な仕切りしたのでは?」その時、会場で何が⁉
常に本気の姿勢でアスリートの内面を伝える松岡修造さん。常にポジティブな挑戦の裏には、いつも弱さがあったという。人の心を一歩前に導く生き方とは? 滝川 松岡さんとは全仏オープンで何度もお会いしていますが、こうしてお話をうかがうのは初めてですね。今日はテニスやオリンピックのことなど、いろいろ聞かせてください。 松岡 僕は質問されることに向いていないんです。だから今日は僕が質問します。テニスはいつからやっているんですか? 滝川 ええ(笑)? 小さい頃から家族で……。 松岡 フランスは日々の生活のなかにテニスが溶けこんでいますよね。全仏オープンの見方も日本とは違って、お祭り的な要素が強いというか。そういう文化を肌で知っている滝川さんが全仏をレポートしてくれるのは、日本テニス界にとっても本当にいいことなんですよ。 滝川 ありがとうございます……ってそうではなくて、私に質問させてください。 松岡 僕の
5歳で警察沙汰、3年の逃亡生活。絵に描いたワルがヤンキー系ドラマ御用達の不良ファッション専門ショップを立ち上げるまで
働く親にとって、放課後子どもを預かってくれる「学童保育」は欠かせない場所ですが、そこで働く人たちの処遇は決していいものとは言えません。 大阪・西淀川区にあるたんぽぽ学童保育。この学童で働くのは、44歳の森岡恵治さん。この道24年のベテラン指導員です。出勤は午前10時。子どもたちが来る前に事務作業に取りかかります。 「子どもたちが来る時間と帰る時間を(パソコンで)管理している」(森岡恵治さん) この施設には、小学3年から6年までの12人の子どもたちが通っています。夏休みでも学童保育はあるため、アルバイトの指導員と夏の予定を打ち合わせします。 「プールじゃなくて、あそこ行ったらどうやと思って。ドラゴン公園のある川西市の川」(森岡恵治さん) 落ち着いて仕事ができるのは昼過ぎまで。ここからが本番です。 午後3時。放課後、次々とやってくる子どもたち。 <算数のプリントを前にして> 「ここが真っすぐな
「実は広島をやめようとしたのは、今回が初めてではありませんでした。3年前にも一度、広島を出る決意をしていたんです」――。 家族との秘蔵写真・手紙はこちら 2016年、一軍打撃コーチとして、広島カープを25年ぶりのリーグ優勝に導いた石井琢朗さん。再びリーグ優勝を果たした2017年10月5日に、同じく打撃コーチだった河田雄祐さんとともにカープ退団を発表。広島ファンのみならず多くの人に大きな衝撃をもたらした。11月にはヤクルトスワローズに移籍することが発表され、すでにコーチとしてその存在感を表している。 「移籍の理由」については「家族のため」とだけ報じられたが、それは急に決まったことではなかった。2001年に石井さんと結婚した、元フジテレビアナウンサーの詩織さんが語ってくれた、「家族の絆」とは。 そもそも石井が広島に最初に行ったのは2009年のこと。前年に横浜から引退を打診された、38歳のときで
JRAは13日、昨年の有馬記念馬ダイワスカーレット(栗・松田国、牝5)が左前脚の痛みなどのため、3月28日にドバイのナドアルシバ競馬場で行われるドバイワールドC(ダ2000メートル)への出走を回避すると発表した。 【プレイバック】37年ぶり快挙!ダスカ有馬記念、牝馬V 同馬は12日に、脚部不安のためフェブラリーS(22日、東京、GI、ダ1600メートル)の回避を決めていた。 管理する松田国英調教師によると、精密検査の結果、繋の骨(指骨)につながる浅屈腱の左内側部分に炎症が見られたという。 また「今後の回復については、このような炎症の症例が珍しいため現段階では判りません(松田国師)」ということで、復帰戦はいつになるのか、6月に予定していた英GI挑戦はどうなるのか、すべてが白紙状態に…。昨年、牝馬として37年ぶりに有馬記念を勝ったGI4勝の女傑だけに、競馬界に衝撃が走った。 【関連記
ミラクル残留を決めた千葉に、受験生向けの「落ちないグッズ」を製作するプランが浮上した。前身の古河電工時代から唯一、2部リーグの経験がなく、6日の最終節の東京戦では、2点先制されながら4−2の大逆転劇を演じ、さらにはライバル2チームがそろって負けるという、あまりにもドラマチックな逆転残留にクラブ関係者が着目した。 三木博計社長(58)が、東京戦後のあいさつで「みなさんほっぺたをつねってみてください」と言ったことから「落ちないグッズ」の第1弾として洗濯ばさみが浮上。営業の責任者・島田亮取締役(41)は「眠気防止用の洗濯ばさみでほっぺたをつねるのも面白い。受験のお守りにもなるでしょう。さっそく指示して商品開発したい」と話した。受験シーズンが本格化する来年1月までには、商品化したいという。
日本オリンピック委員会(JOC)は26日、北京五輪の日本選手団報告書を公表し、メダルを逃して4位に終わった野球の日本代表監督を務めた星野仙一氏は、敗因として選手の精神面の弱さと国際試合の経験の少なさを挙げた。 報告書の総評と反省で星野氏は、金メダルを獲得した韓国と比較し「気持ちの面で、弱い面が出た。選手たちは気を抜いて戦ったわけではもちろんないが、気持ちの部分で差があったかもしれないとも思う」と指摘。 さらに「国際試合を多く経験する場を作ることで国際大会でも動揺することなく本来の実力が発揮できるような経験を積ませることが重要かと感じている」と記した。 今後に向けては「この敗戦を糧に、次の国際大会では選手が奮起してくれることを期待している」とし、来春に行われる国・地域別対抗戦の第2回WBCへの期待もうかがわせた。 【関連記事】 ・ 「ひとまず終止符を」 星野仙一氏がHPを閉鎖 ・
98年皐月賞、菊花賞2冠馬セイウンスカイなどを輩出した日本を代表する生産ファーム、西山牧場の本場(北海道むかわ町)がダーレージャパンファームに売却されたことが11日、明らかになった。この日までに契約が交わされたもので、売却されたのは約400ヘクタールの敷地と厩舎などの建物。けい養馬は含まれない。 西山牧場は、1966年に先代の西山正行氏がむかわ町に開場。約400ヘクタールという単一場所としては日本最大の敷地面積を誇り、最盛期には250頭もの繁殖牝馬をけい養。年間約200頭を生産する日本最大の生産牧場となった。 73年にはキョウエイグリーン(スプリンターズS)などの活躍で、V10を続けていた社台ファーム(現社台グループ)からリーディングブリーダーのタイトルを奪取した。地方競馬でも、82年から5年連続でリーディングを獲得するなどその名をとどろかせた。 だが、その後は相次ぐ導入種牡馬の失敗
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