「青梅(おうめ)市」 吉祥寺から「中央線・青梅線」に乗って西へ約1時間 奥多摩への玄関口でもあるこの街 実家のお墓があるので、ちょこちょこと足を運んではおりましたが 観光となると全くでありまして。。。(><;; そんなこの街に、面白そうな「博物館」があるとのことを聞き付けたので 台風の大雨の中「特訓」に行ってまいりました(^^ asoview-trip.com 初めて降りた「青梅駅」 至って、ふつ~~(^^;; 駅構内で、目に飛び込んできたのが 金色に輝く「バカボンのパパ」♪ それと 「昭和の街」 と云う、フレーズ!!! それとそれと 「映画の看板」 なんでも 「青梅の街では“昭和レトロ”をキーワードに町興しを図っている! (一説によると“昭和レトロ”という言葉を初めて使ったのは青梅の町であるらしい) 青梅の街そのものをギャラリーに見立てて演出を施し 訪れる人を懐かしい風景の中に誘ってくれ
行くべきではなかった。先週の札幌。 大学生の息子との用事以外に、私にもう一つの目的があった。 私はこれで大失敗をした。 それはもう30年以上あっていないM君のことだ。 旭川の某高校入学した初日、はじめて言葉を交わしたのがM君だった。それが縁で高校と高校卒業して札幌の学生時代、ずっと仲良かった友人だ。卒業後M君は札幌に残り、私は就職で旭川に帰った。その後数年会う機会がなかった。そして30年ぐらい前に、久しぶりに会って飲んだ。それが最後だと記憶している。その時は確か最後ススキノで握手をして、「じゃあ、また」という感じで別れた。そのうちまた会うだろうと思っていた。しかし、その後年賀状だけのやり取りで現在に至るのだが、年賀状で大体の暮らしぶりが想像できるようになってきた。 結婚をしてないこともわかった。そして、どんな仕事をしているかは知らないが、たぶん生活自体もそんなに楽でもなさそうな気がした。年
先日、たけしさんがテレビで「バイク事故の前後の記憶があまりない」と言っていた。話の文脈から、単純に事故当日から目が覚めるまでの事を覚えていないというより、事故に遭うまでの経緯というか、当時の生活の中で自分がどんな事を考え、行動していたかの記憶が曖昧だというように私は受け取った。 たけしさんの臨死体験と自分の離婚話を結び付けて語るなんて全くおこがましいのだけど、それを聞いて私は、自分の離婚前後の記憶が(割と信じられないレベルで)すっぽり抜けている事はそんなに異常な事ではないのかもしれない、と思うようになった。 今となっては笑い話だけど、離婚後何年か経って”離婚証明書”が必要になり、区役所に行ったら申請書類に「離婚成立の日付」を書く欄があって、何となくの記憶を辿って日付を書いて提出したら職員の人に「こちらの記録ではこの日付より1年以上前に離婚届提出があったようなのですが、これとは別の離婚の件で
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これと言って予定のない休日は、よく旭川の近郊をドライブします。 いつも同じような場所をウロウロしてしまうのですが、少し前のこの日も、定番の東川町方面へ車を走らせました。 目的がないと、何となく向かってしまうのが美瑛と東川なのです。 やはり美瑛はいつ行っても風景がいいですし、東川も綺麗な田園風景と素敵なカフェが多いので、ついつい足が向いてしまいます。 ここは『北の住まい設計社』さんです。 いつも何となく最後に辿り着くことが多いです。 結局この日も、最終的にここに来てしまいました。 店内は撮影禁止なので、写真は外観と周辺だけになります。 辿り着く前のルートは… 旭川空港の方のどこかです(伏せているわけではなく、わからないんです〜)。橋の上から見た、水田と青空のコントラストが夏らしくて良いなと思い、写真に収めました。 適当にぐるぐる走り、写真を撮ったり、牧場が経営するジェラート屋さんに寄ったりし
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