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2015年6月17日のブックマーク (4件)

  • 元少年Aは幻冬舎に手記出版を持ちかけていた! | スクープ速報 - 週刊文春WEB

    手記『絶歌』を太田出版から刊行した神戸連続児童殺傷事件の犯人である元少年A(32)が、当初は幻冬舎から出版する計画だったことが、週刊文春の取材でわかった。 週刊文春の取材に応じた幻冬舎の見城徹社長(64)によれば、2012年冬に、<元少年A(酒鬼薔薇聖斗)>名で封書が届き、翌年に対面したという。Aは、「を書きたい」と訴え、執筆が始まった。しかし、今年に入って見城氏は出版しないことを決断し、3月に太田出版を紹介。見城氏は「切なさと同時に安堵の気持ちがありました」と振り返った。 『絶歌』刊行の詳しい経緯が明らかになったことで、手記出版の是非はさらに論議を呼びそうだ。

    元少年Aは幻冬舎に手記出版を持ちかけていた! | スクープ速報 - 週刊文春WEB
    okadaic
    okadaic 2015/06/17
    是非を述べるつもりはないが(再)、ただでさえ議論紛糾のなか、次は「他版元から出るかもしれなかった」話まで……ヒィ……!
  • お金がないと結婚できないのか - phaの日記

    「家族以外にも選択肢がある」と、家族に縛られない生き方を提唱するのは 京大卒ニートでの@phaさん。「結婚や家族自体を否定しているわけではない。できる人、したい人は家族をつくればいい。そこからあふれる人が孤立しない仕組みを模索している」 AERA最新号から。— AERA (@AERAnetjp) 2015, 6月 15 昨日発売のAERAの「結婚はコスパが悪い」という特集でコメントをしました。 記事はまだ見てないんですが、旧来の結婚に縛られるような必要はない、みたいな話をしたのでそんな感じの話が載ってるんじゃないかと思います。 AERA(アエラ) 2015年 6/22 号 [雑誌] 出版社/メーカー: 朝日新聞出版発売日: 2015/06/15メディア: 雑誌この商品を含むブログを見る 僕が結婚や家族についてどう考えているのかはこないだ出した『持たない幸福論』で詳しく書いているんですが、ざ

    お金がないと結婚できないのか - phaの日記
    okadaic
    okadaic 2015/06/17
  • 『絶歌』の出版について - 太田出版

    2015年6月11日、太田出版は『絶歌』を出版しました。 このは1997年に神戸で起きた通称神戸連続児童殺傷事件の加害者である元少年Aが事件にいたる経緯、犯行後の社会復帰にいたる過程を自ら綴ったものです。 なぜ遺族の了解を取らずに出版したのか、遺族の気持ちをどう考えているのか、なぜあのような猟奇的殺人者のを出すのかなど、出版後、多くの批判をいただいています。 書は、決して人の弁解の書ではありません。いわんや猟奇殺人を再現したり、忌まわしい事件への興味をかき立てることを目的にしたものではありません。 書は、加害者人の手で人の内面を抉り出し、この犯罪が起きた原因について人自身の言葉で描いたものです。 深刻な少年犯罪が繰り返される中、なぜそのようなことが起きたのかをそれぞれの事件の加害者自身が語ることはほとんどありません。一つには機会があってもそれを表現するだけの力を持つ者がいな

    『絶歌』の出版について - 太田出版
    okadaic
    okadaic 2015/06/17
    是非を述べるつもりはないが、「ああ、これはとても出版社っぽい回答だなぁ」と思ったのでブクマ。
  • 小説は文学ではない - jun-jun1965の日記

    荒川洋治さんから、新著『文学の空気のあるところ』を送って貰い、ぱらぱら読んでいたら、横光利一が「文学は小説ではない」と発言した、とあった。そして広津和郎がそれに応じて書いた「『文学は小説ではない』について」(『文藝懇話会』1936年1月、『文学論』筑摩叢書)が紹介されていた。しかし横光がどこで発言したか分からないので人に訊いたら、『行動』1935年11月の「横光利一文学談」という、舟橋聖一と阿部知二のインタビューのごときものであった(『定横光利一全集』第15巻、河出)。 そこで横光は、こう言っている。 小説というものは、文学だとか藝術だとか今でも現にさう思つてゐる人が多いけれども、さう思つてゐると云ふことが既に非常な間違ひぢやないかと思ふ。僕は小説といふものは文学でも藝術でもない小説だと云ふことをはつきり思つてゐます。小説を批判する場合に藝術だとか文学だとか思つて批判するのは間違ひで、小

    小説は文学ではない - jun-jun1965の日記
    okadaic
    okadaic 2015/06/17