ベルギーの友人宅で夕ご飯をいただいていた私は母からの電話でそのニュースを知った。 そのあと私は部屋にこもり、朝の3時過ぎまでラジオを離せなかった。毎分ごとに増えていく死者の数で震える体を抑えながらパリの友人たちの無事を確認し、同時に日本からのメッセージに対応していた。 犠牲になったのはライブに行く若者、カップル、親子、レストランで食べて飲んで友達の誕生日を祝っている若者、つまり普通に金曜日に外出していた20代から30代の人々、正に私でもおかしくなかった。 犯行があった10区や11区は世代と人種がもっともミックスして賑わっている人気地区で新しいパリの象徴の様な場所。無差別ではなく、私達の自由と多国の民族の融合が的となったのだ。でも考えてみるとアムスやバルセロナ、ロンドン、ベルリンなど自由でミックスカルチャーという条件に当てはまる都市は世界に多々ある。 フランスでテロが行なわれた思いつく理由と
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