この配布区分が示す通り、 海軍は大正から昭和初期には孫子をマハンやクラウゼビッツ以上に重視し高く評価していた。 また、 この配布区分は西欧の戦略や戦術を身につけた日本海軍が、 新しい戦略戦術を考究しようとしていた強い意欲を表徴しているようにも思われる。 事実、 1919年には太平洋を横断して来攻するアメリカ艦隊に対して、 潜水艦や航空機による攻撃を反復繰り返し敵勢力を漸減する。 さらに敵艦隊が決戦場に入るや高速戦艦が護衛する水雷戦隊をもって夜戦を決行し、敵艦隊に大打撃を与え夜戦に引き続き黎明以後、 戦艦部隊を中核とする全兵力を結集して決戦を行う対米戦略「邀撃漸減作戦」をほぼ概成していた。 3 昭和期(1926ー1940年)の海軍と孫子 (1)兵術思想と孫子 昭和初期の日本海軍は「支那古兵学、 すなわち七書流の兵学は内容豊富であり西欧流の兵学の及ばない所を補う(13)」ものと位置付けて
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く