タグ

関連タグで絞り込む (0)

  • 関連タグはありません

タグの絞り込みを解除

中島らもに関するokasimezのブックマーク (3)

  • らもはだ日記

    1985年9月。 初めて行くテレビ局。 兵庫県高砂市牛谷に住んでいたパンク少年鮫肌は舞い上がっていた。 らもさんに呼ばれて、番組のブレーンとして足を踏み入れた読売テレビ。 「ここがテレビ局か」 広いロビーがすべて光り輝いて見えた。 受付で「鮫肌」を名乗ると「聞いております。2階の会議室Aにお越しください」 キレイな受付のお姉さんの案内を聞いて、すぐに2階の会議室へ向かう。 ナメられたらアカンと着てきた、自分にとってのパンクな勝負服「ジョン・ライドンのTシャツ」に破れたジーンズ。でも、ドックマーチンが高くて買えないのではオカンが買ってきたダイエーのスニーカー。田舎モンなりに精一杯のパンクファッションでキメてきたつもりであった。 会議室には、「予算がないからとにかくブレーンだけは豪華にしたい」と、らもさんが言っていたメンツがすでに集まっていた。 コピーライター、広告マン、編集者、音楽プロモー

    らもはだ日記
  • らもはだ日記

    鮫肌文殊(さめはだ・もんぢゅ) 1965年神戸生まれ。放送作家。 「世界の果てまでイッテQ!」(日テレ)などを担当。 「テレビ裏語録」(毎日新聞)などTV関係のエッセイ連載も多数。 昭和歌謡全般のディープな知識を活かして『決定!レコ歌ベストテン』(毎週木曜20時・中央エフエムにて生放送)パーソナリティや、 レギュラーパーティー 『輝け!日のレコード大将』(毎月第2金曜・渋谷オルガンバー) 『歌謡曲主義』(毎月第3火曜・恵比寿頭バー)をはじめ、DJとしても神出鬼没に活動中。 関西伝説のパンクバンド捕虜収容所の無冠のボーカリストでもある。 「鮫肌、また会ったね!」 まさか、ミーさんにロフトプラスワンの楽屋でそう言われるとは思っていなかった。 2004年9月11日。 トークイベント「らもはだ」最終回。 ガンジー石原が、リハで迷曲「人間はカトリセンコウ」をつっかえつっかえたどたどしく演奏するのを

    らもはだ日記
  • らもはだ日記

    「らもさんが、死んだ」 2004年7月27日。 番組の構成会議の最中に鳴った携帯電話。 着信「キッチュ」。 悪い予感がしたが、すぐに出た。 電話口の向こうで一呼吸置く気配がして、松尾貴史のよく通る声が、中島らもが逝ってしまったという事実を一番簡潔な形で伝えた。 すでにここまでの経緯は聞いていた。 三上寛さんとあふりらんぽのライブにギター持参で出かけて行き、飛び入り。何曲か歌って打ち上げで酒を飲んだ後、どこかのバーで酔っ払って階段から転落。頭を打って意識不明に。 後で、あふりらんぽのメンバーのオニさんに聞いたのだが、自分たちの出番が来たのでステージに出たら、もう先にらもさんがエレキギター片手に「さ!今からセッションしようぜ」と言わんばかりにステージの中央に立って待っていたという。飛び入りのくせに主役のバンドの許可もなく先に「ステージを温めておきました」って。図々しいにもほどがあると苦笑いだっ

    らもはだ日記
  • 1