1985年9月。 初めて行くテレビ局。 兵庫県高砂市牛谷に住んでいたパンク少年鮫肌は舞い上がっていた。 らもさんに呼ばれて、番組のブレーンとして足を踏み入れた読売テレビ。 「ここがテレビ局か」 広いロビーがすべて光り輝いて見えた。 受付で「鮫肌」を名乗ると「聞いております。2階の会議室Aにお越しください」 キレイな受付のお姉さんの案内を聞いて、すぐに2階の会議室へ向かう。 ナメられたらアカンと着てきた、自分にとってのパンクな勝負服「ジョン・ライドンのTシャツ」に破れたジーンズ。でも、ドックマーチンが高くて買えないので靴はオカンが買ってきたダイエーのスニーカー。田舎モンなりに精一杯のパンクファッションでキメてきたつもりであった。 会議室には、「予算がないからとにかくブレーンだけは豪華にしたい」と、らもさんが言っていたメンツがすでに集まっていた。 コピーライター、広告マン、編集者、音楽プロモー
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く