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桂米朝に関するokasimezのブックマーク (14)

  • 桂米朝さん、あの世でゴーストバスターに!?桂米團治が笑撃告白

    3月に亡くなった人間国宝の落語家、桂米朝さん(享年89)の追善一門会が8月にサンケイホールブリーゼ(大阪市北区)で開催されることになり、長男で落語家の桂米團治(56)が25日、大阪市内で会見した。衝撃の死から2カ月、弟子たちに「ちゃ~ちゃん」と慕われた偉大な総帥が、なんと兵庫・武庫之荘の自宅にいた幽霊を退治(?)していたことを告白。米團治は「これからも引っ張っていく気がする」と一門の守護神に指名した。

    桂米朝さん、あの世でゴーストバスターに!?桂米團治が笑撃告白
  • 桂米朝さん通夜で長男米団治がざこばへの嫉妬心吐露 - 芸能 : 日刊スポーツ

    肺炎のため19日に89歳で亡くなった人間国宝の落語家、桂米朝さん(名・中川清)の通夜が24日、大阪府吹田市桃山台5の3の10「千里会館」で行われ、喪主を務めた長男の桂米団治(56)が、兄弟子の桂ざこば(67)に抱いていた嫉妬心を吐露した。 「もう(ざこばと米朝さんは)当の親子ですよ。甘えたいときに甘えて、泣きたいときに泣いて、ホンマの子どもより上や」 自らも、長男ながらに実の兄のようにざこばを慕ってきた米団治は、父が惜しみなく愛情を注いだ兄弟子に、実の兄弟のような温かみを感じてもいる。 この日の通夜でも、ざこばは感極まって「ちゃーちゃん、ありがとう」と絶叫。米団治もその様子を見守っていた。 ざこばは7歳で父を亡くし、15歳で米朝さんに師事。兄弟子には、天才と称されたけいこ熱心な故桂枝雀さんがいたが、米朝さんにとっては、世間知らずなざこばはとりわけ、手のかかる弟子だった。 この日もざこば

    桂米朝さん通夜で長男米団治がざこばへの嫉妬心吐露 - 芸能 : 日刊スポーツ
  • 上岡龍太郎氏「米朝の名前は永久欠番」/デイリースポーツ online

    上岡龍太郎氏「米朝の名前は永久欠番」 3枚 上方落語の復興に尽力し、19日に肺炎のため89歳で死去した人間国宝の落語家・桂米朝(名・中川清)さんの葬儀・告別式が25日、大阪府吹田市の千里会館で営まれた。親族、一門の弟子、関係者ら約1500人が参列し、“戦後上方文化の巨人”に最後の別れを告げた。2000年3月に芸能界を引退した上岡龍太郎氏(73)も姿を見せた。上岡氏が公の場に姿を見せるのは11年12月に都内のホテルで行われた立川談志さんのお別れの会以来3年3カ月ぶり。 現役時代はインテリで理論派、立て板に水のごとく切れ味鋭いコメントを発し、司会者としても他の追随を許さなかったお笑いタレントだった上岡氏。この日はマスコミを避けるようにマスク姿で出入り。会場内ではマスクを外し、最後のお別れをした。 葬儀後、マスコミに囲まれた上岡氏は何度も「今は一般人ですので」と取材を断った。それでも最後は歩き

  • 米朝さん葬儀、可朝が別れのあいさつ/デイリースポーツ online

    米朝さん葬儀、可朝が別れのあいさつ 5枚 上方落語の復興に尽力し、19日に肺炎のため89歳で亡くなった人間国宝の落語家・桂米朝(名・中川清)さんの葬儀が25日、大阪府吹田市の千里会館で営まれ1500人以上が参列した。葬儀には、歌笑曲「嘆きのボイン」で知られ、米朝さんの弟子の中で最も破天荒な月亭可朝(77)が駆けつけ、トレードマークのカンカン帽子をかぶり、弟子を代表してユニークな“可朝節”で参列者へのあいさつを述べた。 ◆以下、可朝のあいさつ全文 先日、米朝師匠が他界された瞬間、私も枕元に、ベッドの横におりました。すぐに息を引き取ったんではなく、ふっと息を止めるんですね。止まると、横の機械の数字が0になる。そしたら、(現筆頭弟子の)ざこば君と次男の透くんが2人で『ちゃーちゃん、ちゃーちゃん、ちゃーちゃん!』って言うんですよ。 この人(長男・桂米團治)が幼児の時も、(米朝さんを)ちゃーちゃん

  • 米朝さん死去にざこば号泣「チャーちゃんよりすごい人見たことない」

    19日夜に肺炎のため死去した上方落語界の重鎮、桂米朝さん(享年89)の死から一夜明けた20日、最期を看取った長男で落語家、桂米團治(56)と弟子の桂ざこば(67)が大阪市内で会見を開いた。米團治が「大往生だった」と気丈に語る一方、ざこばは人目をはばからず号泣。米朝さんを失った悲しみは落語界全体に広がった。

    米朝さん死去にざこば号泣「チャーちゃんよりすごい人見たことない」
  • 浜村淳氏 親交深かった米朝さん悼む/デイリースポーツ online

    浜村淳氏 親交深かった米朝さん悼む 拡大 他界した落語家で人間国宝の桂米朝さん(享年89)と半世紀以上にわたって親交が深かった、映画評論家でパーソナリティーの浜村淳氏(80)が20日、若き時代から師と仰ぎ、芸談を語り合いながら飲み明かした米朝さんとの日々をなつかしみ、別れを惜しんだ。 ◇  ◇ 「淳ちゃん、落語の世界に来んか?上方落語が衰えて、噺家になる人間が少ないんや」 昭和35年ごろ、私が出演してましたジャズ喫茶に米朝師匠が訪ねて来られ、こんなお誘いを頂いたんです。 大まじめに「なんとか落語界を盛り上げたいんや」と。私のラジオ番組などを聞いて興味を持っていただいたようですが、当時の私は、ジャズや映画の解説が業。落語との両立は難しく丁重にお断りしました。ですが、私が弟子入りしたらどんな名前に?「米朝の弟子で、桂“もうちょう”でどや」。「そんなんイヤです」。2人で笑い合いました。 「なん

  • 「上手に亡くなりはったな」…ざこばさん涙 : カルチャー : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)

    戦後の上方落語界をリードし、日を代表する落語家だった桂米朝さんが19日、89歳で死去した。 一夜明けた20日午前、長男の桂米団治さん(56)、一門の桂ざこばさん(67)らが、大阪市内で記者会見し、米朝さんをしのんだ。 19日午後、米団治さんは、ざこばさんらとともに大阪市内の寄席に出演していた。同5時頃、入院していた病院から米朝さんの容体が悪化したとの連絡が入った。家族や弟子ら約15人が病室に集まり、最期をみとったという。 米団治さんは「眠るように逝きました。上方落語の世界を大きくしてくれた師匠でもあり、父でもある人に感謝の気持ちでいっぱいです」と語った。ざこばさんは「大往生というのは、これのことやな。上手に亡くなりはったな」と声を詰まらせ、涙を流した。 ざこばさんによると、病室には最年長の弟子、月亭可朝さん(77)も駆けつけ、「駒ひかるさん(米朝さんの、絹子さんの芸名)の所にいけるな」

    「上手に亡くなりはったな」…ざこばさん涙 : カルチャー : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)
  • 神戸新聞NEXT|社会|「大往生でした」桂米朝さん死去、米団治さんら会見

    会見で思い出を語り、感極まる桂ざこばさん(手前)と、桂米団治さん=20日午前、大阪市内(撮影・保田叔久) 上方落語界の重鎮で人間国宝の桂米朝さん=兵庫県姫路市出身=が19日夜に89歳で死去したことを受け、弟子で長男の桂米団治さん(56)と弟子の桂ざこばさん(67)らが20日午前、大阪市内のホテルで会見し、米朝さんの最期の様子を語った。米団治さんを含む3人の息子家族やざこばさんら弟子約15人が見守る中、眠るように息を引き取ったといい、米団治さんは「大往生でした」と目を潤ませた。 冒頭、ざこばさんが「徐々に徐々に血圧と心拍が下がり、非常にきれいに亡くなりはった。こんなにうまく亡くなれるもんかと思うほどの最期やった」と話し、声を詰まらせた。 米団治さんによると、米朝さんは昨年1月の米朝一門会への出演を見送り、その後は常に弟子1人が付きそう形で自宅療養していたが、同年6月に絹子さんが亡くなってか

    神戸新聞NEXT|社会|「大往生でした」桂米朝さん死去、米団治さんら会見
  • 桂米團治「眠るように逝きました」/デイリースポーツ online

    桂米團治「眠るように逝きました」 2枚 19日に肺炎のため89歳で亡くなった落語家・桂米朝(名・中川清)さんの長男で落語家の桂米團治(56)が20日、大阪市内で一門の筆頭弟子の桂ざこば(67)とともに記者会見を行い、米朝さんの最期の様子などを語った。 米團治は19日、大阪・動楽亭での出番を終えた午後5時過ぎに連絡を受けて、兵庫県伊丹市内の病院に駆けつけた。そして米朝さんは、午後7時41分に息を引き取った。「まさかこんなに早くとは思ってなかった。中川家の3兄弟と直系の弟子がほとんどすべて集まった。ちょうどその時に全然苦しまずに、眠るようにあちらに逝きました」と報告した。 死の直前には主治医から「はっきり言ってご寿命です。きれいにあちらへ逝かれる準備をされています」と説明されたという。「そのとおり、全然苦しまず、皆が見守る中、眠るようにあちらへ逝きました。私は大往生だったと思っております」と

  • ざこば涙「こない上手に亡くなるとは」/デイリースポーツ online

    ざこば涙「こない上手に亡くなるとは」 2枚 19日に肺炎のため89歳で亡くなった落語家・桂米朝さんの筆頭弟子の桂ざこば(67)が20日、大阪市内で米朝さんの長男の桂米團治(56)とともに記者会見を行い、師匠との思い出などを語った。 ざこばは、1月下旬にも米朝さんが危篤状態に陥り、一門の弟子が集まったが無事回復したことがあったことを明かした。その後はなるべく病室に立ち寄るようにしていたが「こないだの危篤は何やったんや」と思うような回復ぶりだったという。 19日は米團治から電話を受けて、兵庫県伊丹市内の病院に一番に駆けつけた。「またお医者さんが『持ち越します』と言うてくれはる気がして、また解散してと思ってた」ところ、血圧も心拍数も下がっていくのを目の当たりにして「もうあかんな」と覚悟を決めたという。 「泣くかいなと思ったんですけど、前の危篤のこともあったので、泣くというより、お疲れさんでした。

  • 「落語は一期一会の芸」/米朝さん金言集 - おくやみ : 日刊スポーツ

    博識で勉強熱心で知られた桂米朝さん。時には時事問題にも言及した“落語博士”の生涯を、折々の発言からたどった。 「現代では、形の決まった古典落語でさえ、工夫しなければ客に受けない」「大阪ではほかに(古典の)復活を手掛ける人がいないので私がやらななりません。若手と、いいお客の両方を育てなくては、未来が暗いです」(1967年のインタビュー) 「すべて味わいは、十分な説明をしないで相手にわからせた時の方が、味が良いものです」「人との応対や、折目切目(おりめきりめ)の挨拶のしかた、さまざまな場合の人への対し方…(中略)落語は人生の百科事典であるとも言えましょう」(75年出版「落語と私」から) 「落語は(客層などで噺(はなし)が微妙に変わる)一期一会の芸。体力も衰えてくるだろうが、勝負の仕方はある」(92年、67歳で) 「つらいことはあったが、やめようと思ったことは一度もなかった。簡単なしぐさでドラマ

    「落語は一期一会の芸」/米朝さん金言集 - おくやみ : 日刊スポーツ
  • 神戸新聞NEXT|社会|桂米朝さん死去 上方落語界の重鎮 89歳

    文化勲章受章を記念した特別番組の収録に臨む(左から)桂吉弥、桂米朝、桂ざこば=大阪市中央区城見2、読売テレビ(撮影・峰大二郎) 上方落語界の重鎮で人間国宝の桂米朝(かつら・べいちょう=名・中川清)さんが19日午後7時41分、肺炎のため、死去した。89歳。旧満州(現中国東北部)生まれ。自宅は尼崎市武庫之荘5の9の14。通夜は24日午後6時から、合同葬は25日午前11時から、いずれも吹田市桃山台5の3の10、公益社千里会館で。 米朝さんは1925(大正14)年、旧満州で生まれ、父親の実家がある姫路市で育った。旧制姫路中学(現姫路西高校)卒業後、大東文化学院(現大東文化大学)に入学、在学中から寄席や演芸の研究に取り組んだ。復員後の47(昭和22)年、4代目桂米団治に入門し、3代目米朝を襲名した。 入門後間もなく「高津の富」で初高座。精力的に寄席や落語会を開き、戦後、消滅寸前だった上方落語の復興

    神戸新聞NEXT|社会|桂米朝さん死去 上方落語界の重鎮 89歳
  • 神戸新聞NEXT|社会|本格派の語りでファン魅了 桂米朝さん死去

    アンドロイド(手前)の動きを見てほほえむ桂米朝さん(右)。制作者の石黒浩大阪大教授(左)らが見守った=23日午後、大阪市北区梅田2、サンケイホールブリーゼ(撮影・笠原次郎) 理知的な語り口で名人芸ともいえる落語を披露し続けてきた桂米朝さんが19日、89歳で他界した。上方落語界を背負って約60年、かつて消滅の危機にひんしていた上方落語界はその尽力もあり、今や200人以上の落語家を抱える大所帯に。上方落語界がかつてないほどの隆盛期を迎えている中、最大の功労者は惜しまれつつ、生の高座から静かに降りた。 父に連れられて小学生のころから寄席に通い、演芸好きに。旧制姫路中学を経て、現在の大東文化大学に進学。大学に籍を置きつつ、作家で演芸演芸評論家の故・正岡容氏の元でも学んだ。 落語家への転機は戦後間もなく。上方では落語家が相次いで亡くなり、10人にも満たないほどだった。惨状を憂慮した正岡氏の「上方落語

    神戸新聞NEXT|社会|本格派の語りでファン魅了 桂米朝さん死去
  • 桂米朝さん死去 肺炎 89歳/デイリースポーツ online

    桂米朝さん死去 肺炎 89歳 拡大 落語家で人間国宝の桂米朝さん(名・中川清)が19日、午後7時41分、肺炎のために亡くなった。89歳だった。 通夜は24日に、葬儀は25日に大阪府吹田市の公益社千里会館で営まれる。喪主は長男で弟子の米團治(名・中川明)が務める。 米朝さんは2013年夏に肺炎を患って入院して以降は自宅療養に努めており、昨年は72年から続けてきた新年落語会への出演を初めて見合わせた。再び高座で出会えることを願った落語ファンの願いはかなわなかった。 米朝さんは1925年11月6日、兵庫県姫路市出身。旧関東州(満州)大連に生まれ、43年に作家・寄席文化研究家の正岡容に師事。終戦後の47年、四代目桂米團治に入門し、間もなく大阪で初舞台に立った。 67年に関西テレビ「ハイ!土曜日です」の司会を担当し、68年に所属の千土地興行を離れ、フリーとなる。74年に米朝事務所を設立。多数の番

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