2017年3月7日のブックマーク (1件)

  • 煬帝は「日出処」で激怒してない? 遣隋使研究のいま:朝日新聞デジタル

    「日出処(ひいずるところ)の天子、書を日没処(ひぼっするところ)の天子に致す」。7世紀、倭国(わこく、日)の国書を携え、中国大陸に向かった遣隋使。初めて派遣された年や、隋に対する優位感情が国書から読み取れるというとらえ方は変わってきている。 遣隋使は「607(群れなす)船」と語呂合わせで覚えた人も多いかもしれない。しかし、第1回の派遣は、600年という見方が現在では優勢だ。 遣隋使の記録は、「日書紀」と中国の「隋書」に残る。居宣長以来戦後の一時期までは、国内史料を特に重視する立場から、日書紀に記述がない600年は顧みられる機会が少なかった。だが、史料分析が進み日書紀の一部に誇張があることが明らかになり、隋書に残る600年を第1回と考える見方が広がった。 この7年の差は大きい。607年に次の遣隋使が派遣されるまでの間に、「冠位十二階」や「憲法十七条」が制定されるなど矢継ぎ早に改革が

    煬帝は「日出処」で激怒してない? 遣隋使研究のいま:朝日新聞デジタル
    okemos
    okemos 2017/03/07
    「「野蛮な国」扱いされた衝撃が、倭に改革熱を呼び込んだと言えそうだ」明治の改革と同じなんだろうな。今の日本が変わるのにもなにかこういう大きな外的存在が必要なのかな。