2012年7月12日、2つの主要なクルド人組織であるクルド国民評議会(英語版)(KNC)とクルド民主統一党は共同で、クルド人の政治主体となるクルド人最高委員会(DBK)を設立した。DBKはシリア国内のクルド人居住地域を守る目的でクルド人民防衛隊(YPG)を組織した。2012年7月の末、そのYPGがコバニ、アムダ(Amuda)、アフリーンを支配に置いた[20]。その後マリキヤ、ラース・アル=アイン、アル=ダルバシヤ(Al-Darbasiyah)、アル=マーバダ(Al-Maabadah)等の都市もYPGの支配下に置かれた。 クルド人が多数派を占める都市としてはハサカとカーミシュリーのみがシリア政府の統治下に置かれていたが[21][22]、すぐにこれらの都市からも幾つかの地区はYPGの支配に入った。 2013年7月、ISILはラッカ県のクルド人住民の立ち退きを強制し始める。7月21日、タル・アブ
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