この前ナントカ22という番組で美容整形がやっていて、ものすごい巨漢女子100キロが脂肪吸引で痩せたいと言い、断食道場も行ったエステも行ったこれが最後の手段と言いながら、痩せないことへの文句をぶーぶー言いつつ信じられない量の食料を飲み込んでいくのを見て気持ち悪くなり、彼女に必要なのはカウンセリングと胃を小さくする手術に決まってると思った。痩せたいのに、欲望のままに喰いまくるのをやめない因果な姿がもう、超恐かった。何が憑依してるんだろう。 その後80キロにまで痩せたその女子が成功モデルとして撮影をしていて、その様がまた、唇をちょっと突き出して人差し指をたてて先をちょこっと可愛らしく添えて、「シー」としていた愛くるしすぎる場面があまりに強烈で、ああ早く忘れようと思っていたら、昨日夢に出てきた。いつも殆ど夢なんて覚えてないのに、起きてしばらく微妙な気分。 太った女子は何だかおおらかなのかもしれない
王子様幻想を捨て、夢や幸福は自分で勝ち取るものだ!と気づいた80年代の少女たち。しかし当時、普通の女の子が自分の力をためす場所はほとんどありませんでした。そんな厳しい現実に直面した「その後の姫子たち」を描いた連作短編集が柴門ふみ『女ともだち』です。 「女ともだち」のシリーズを開始したのは一九八三年、今から八年以上前のことです。当時の女性をとり囲む状況は今よりずっと悪かったように思います。職業選択の幅の狭く、(男女雇用均等法も実施されていなかった)社会に参加しようにも多くの困難を抱えていました。 (中略) 昭和史の記録(?)としては、80年代当時の女のジタバタぶりもおもしろいけれども、後に残せる価値があるのは、恋しい人への届かぬ思いであり、すれ違いのため実らなかった恋といった、いつの時代でも誰の身にも起こり得るドラマだけという気がします。 という単行本のあとがきにもあるように、雇均法施
なぜ日報を書くのか ※この文章は「日報を書くの良いですよ!」という事を進める文章ではないです。 あくまでも自分がScrapboxで外部向けの日記を書いたり、社内のドキュメントツールで日報を書いていく内に思いついた考えを一旦まとめたくて書いています。 元々は社内向けで書いていたので…
非モテ人間は現代の被差別階級なのか? 異性を発情させるのがそんなに偉いのか? 文学を手がかりに、いっそ、非モテライフをエンジョイする方法を探っていこう! 今回のテキストは、“恋愛教の教祖”が青春時代に描いた非モテ女子高生の赤裸々告白! トレンディドラマ『東京ラブストーリー』の原作者にして数々の恋愛論をものしている“恋愛教の教祖”柴門ふみ。しばしば恋愛至上主義の元凶として目の敵にされることもある彼女ですが、80年代初頭に発表された『愛して 姫子さん』を読めばそうした評価は一変するかもしれません。彼女は非モテ女子の鬱屈を青年誌に叩きつけた、言ってみれば非モテ女子界のチャレンジャーだったのです。 主人公のブスでひねくれている女子高生の姫子。彼女はイケメンのスポーツマンと美女とのカップリングをくやしがるクラスメートたちに、学校における階級制度を説きます。「あたしたち高校生にとっては一クラス=一国
■非モテ女はなぜ語らないのか? 「しゃれにならないから」という意見も見たが、自分がどれだけモテなかったかというようなことはプライバシーに属することで、わざわざ公言するようなことではない、と考えている人もいると思う。 でもまーちらっと語ってみますと、私は自分の年齢と彼氏いない暦がぴったり同じだ。結婚? していないし、したこともない*1。 雑誌でたまにやっているその手の特集なんか見ると、非モテと言いつつ、デートしたことはある(しかし恋愛関係にまではいたらなかった)とかいう人が出ていたりするが、私はデートすらしたことがないぞ。デートしたことがあるのに非モテを名乗るなんて、私に言わせれば詐欺だ。フォークダンスのときに男子が手をつなぐのを嫌がって目の前でげろを吐くふりをするとか、片思いの相手に告白したら「お前にだけは好かれたくない」と面と向かって言われたとか、そういう体験してこそ真の非モテ女ですよ。
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