5回位で終わるかと思ったらもう19までやっててほんまウザい。 楽屋の内輪受けみたいなブクマで毎回ホッテントリに出てくんもマジウザい。 しかもブクマしてる奴らも、うちらはメタ的な視点ではてなを見てますからこのマンガの面白さがわかりますよーと言わんばかりのド腐れはてなーばっか。 おもんないわ。 さっさと終われ。
私は度々「母親に対して一言物申したい」オバさまに出会う。 やれ「母親がそんな服装して」だのなんだの。 主に服装とかが多いな。 この背景には ・暑さに弱いから薄着である ・顔が派手だから薄化粧でもガッツリメイクに見える というものがある。 私は熱がこもる体質で熱中症になりやすい。 少しでも熱を発散させなければ、子供と歩いている時に自分が倒れるのが怖いので薄着している。 夏は基本がホットパンツかサルエルパンツ。ホットパンツを履くためにダイエットし続けているといっても過言ではない。膝より長いパンツを履くと暑くてしんどい。これはそろそろキツい年齢になるので考えなくてはいけないとは思っている。 顔は決して美人ではなく、小学生の頃のあだ名はアラブ人です。お察しください。 ということでギャルママ?子供が子供産んで…ちゃんと育児出来へんのちゃうん?という格下認定を受ける。 このギャルママ=育児してないとい
2014-09-13 地方の公立男子校は阿鼻叫喚の地獄絵図だった 女子校出身者が娘を女子校に入れたがるワケのうちの一つかなあ。を読んで、「男子校だったけど、女子校に行きたかった」とコメントしたけど、本当に地方の公立高校の男子校は阿鼻叫喚の地獄絵図だった。 男子校しか選択肢がなかった 相馬市には相馬高校と相馬女子高校の2つの高校しかなかった。事実上、相馬市で高校に進学するならば男子校しか選択しがなかった。仙台や原町(現在の南相馬市)に通えば共学校があるが、田舎なので電車は1時間に1本しか無い。そのため、普通に高校に通うことを考えると相馬高校しか選択肢がなかった。 応援団によるシゴキ 入学した初日から、放課後に全員が強制的に残らされて応援団による校歌・応援歌・復讐歌の指導があった。応援団は竹刀を振り回してデカイ声で校歌を歌うように指導した。全員がデカイ声で歌えるようになるまで帰れなかった。私が
「つまらなかった、運動会!」 「「「運動会!!」」」 「面倒だった、合唱コンクール!」 「「「合唱コンクール!!」」」 とても運動神経抜群とは言えず、むしろ体育の時間は隅っこで目立たないように気配を消すように努めている……そんな子供だった僕は、運動会がそこまで好きじゃない。球技があったら最悪。チーム戦とかマジで勘弁して下さい……。 大きな学校行事と言えば、文化祭や音楽祭などもありますね。 文化祭は中学校以降のものだとしても、小中学校で“合唱コンクール”的な行事があるところは多いはず。「ちょっと男子ぃ、まじめにやってよぉ〜」なんて、おなじみの光景ですね、はい。ぼぼぼぼくは真面目にやってたし! 音痴だけど!! そんな諸々の「学校行事」の思い出・自分語りと、思うことについて。 スポンサーリンク 足を引っ張るまいと必死だった、運動会 体育は、苦手です。 体力テストの結果は、軒並み平均以下。ソフトボ
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