ブックマーク / chez-nous.typepad.jp (2)

  • 坑道のカナリア—弱さの意味について— - tanukinohirune

    「坑道のカナリア(canary in a coal mine)」というのは、いまはもう使われることのない安全対策に由来する言葉です。炭坑で働く男たちが、カナリアの入った鳥かごを携えて坑道に入って行く。ご存じのように炭坑労働には多くの危険が伴いますが、そのひとつに一酸化炭素などの有毒ガスが知らない間に充満していて、気が付いた時にはもう遅く、身動きがとれず死に至るということがあります。カナリアは人間よりガスに敏感なので、まだ人間の身体には害のないような僅かな量の有毒ガスにも反応し、騒いだり気絶したりする。それを見て危険を察知し避難することができるというわけです。 現代ではおそらく、カナリアよりももっと敏感な有毒ガス検出器を持って行くので、こんなことは行われません(いや、別に確かめたわけではありませんが、ないと思います)。けれども比喩としては、「坑道のカナリア」はまだ使われているようです。なぜか

    omaenomonohaorenomono
    omaenomonohaorenomono 2014/08/07
    ここでのカナリアは弱さではなく鋭敏さの象徴じゃね?その鋭敏さを持って自ら犠牲となっても重要な何かを訴える存在って認識だったけど。それにヴォガネットは芸術/芸術家の多くの役割の一つを取り上げただけでは?
  • 世界の圧倒的な虚しさ

    高校1年生の女子生徒が、何の恨みも憎しみもなく、ただ人を殺してみたかったという動機から、クラスメートの女子を殺害し、その遺体を解体しようとしたらしい——この衝撃的な事件について、いったいどのように考えればいいのか、どんなことでもいいから何か書いてくださいと若い人たちから頼まれたのだが、いったい自分に何が言えるのか…とにかく書いてみることにする。 とりあえず、自分自身が高校1年生であった1974年のことを思い出してみる。その4年前に市ヶ谷の自衛隊駐屯地で割腹自殺を遂げた三島由紀夫の作品は、文学好きな高校生の間でよく読まれていた。ぼくも高校1年生の夏休み、まだエアコンのなかった家の暑さを逃れて藤森神社の木陰に逃げ込み、聴覚を麻痺させるような蝉時雨の中で、白地に赤い文字で作者と作品名がデザインされた新潮文庫の『午後の曳航』を読んだ。 この記憶について言うのは、佐世保の事件のことを聞いて、まずこの

    omaenomonohaorenomono
    omaenomonohaorenomono 2014/07/31
    「答えはないとぼくは思う」のはお前の勝手だけどさ、つまんないポエム仕立てにして上から目線で考えようとしてる人間をdisんのは止めたら?捜査も考察も始まったばっかだし。あっちでオナニーポエムでも書いてろよ。
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