犯罪が病理として問題視されるべきなのは通常値を越えた場合に限り、一定の犯罪の存在はむしろ社会の健全性を示す(デュルケーム)。こうした社会学的知見は庶民や胥吏や政治屋が知っている必要はなく社会成員や治安関係者の個別的防犯の努力を否定するものでもないが、苟も知識人なら知っているべき。
![中田考 on Twitter: "犯罪が病理として問題視されるべきなのは通常値を越えた場合に限り、一定の犯罪の存在はむしろ社会の健全性を示す(デュルケーム)。こうした社会学的知見は庶民や胥吏や政治屋が知っている必要はなく社会成員や治安関係者の個別的防犯の努力を否定するものでもないが、苟も知識人なら知っているべき。"](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/6c34e3d50bf9785a3f506bed865fecc89d3c5c22/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fpbs.twimg.com%2Fprofile_images%2F3543424526%2F3aea00e4b8d6fc32e5d53cc7b11c3cba.jpeg)
犯罪が病理として問題視されるべきなのは通常値を越えた場合に限り、一定の犯罪の存在はむしろ社会の健全性を示す(デュルケーム)。こうした社会学的知見は庶民や胥吏や政治屋が知っている必要はなく社会成員や治安関係者の個別的防犯の努力を否定するものでもないが、苟も知識人なら知っているべき。
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く