ブックマーク / toyokeizai.net (2)

  • 【独占手記】私が山上徹也との面会を決めた理由

    甥の山上徹也が安倍晋三元首相を銃撃した2022年7月8日の事件から、まもなく1年が経とうとしている。 事件後、私はマスコミ関係者に事件の背景を説明してきた。徹也の幼い頃に父親(私の弟)が自死したことや、徹也の母親が旧統一教会に多額の献金をしたことが原因で一家が破産したこと、さらには障害者だった徹也の兄が将来を悲観して自死したことをなどである。そうした事件の背景を説明することが伯父としての社会的責任だと考えたからだ。 徹也の捜査は終了し起訴されたことで、私は、自分の任務を終えたと考えている。ところが事件から1年という節目が近づいているからか、最近、再びマスコミ関係者が私のところにやってくるようになった。その一つひとつに対応するつもりはないため、以下、徹也に関することを記しておくことにした。 海水浴場で見せた笑顔 まずは彼の少年・青年時代に触れておきたい。 彼の父親が自死したのは1984年、徹

    【独占手記】私が山上徹也との面会を決めた理由
    omr14
    omr14 2023/06/23
  • 「日雇いバイト」で食いつなぐ40代教員の生活困窮

    「教師になろうと思ったのは高校時代です。体育の先生に憧れて、私も生徒ときちんと対話ができる、心の温かい教師になりたいと思いました」 今から20年以上前、そんな夢を抱いて教師を目指した村井さんだが、その後の道のりは苦難に満ちたものとなった。当時、教員採用試験の競争倍率が今とは比べ物にならないほど高く、特に高校の保健体育は倍率が数十倍となることも珍しくなかった。 村井さんは採用試験に合格できないまま、十年数年の日々を過ごすこととなった。その間は非正規教員として働いてきたが、常勤にありつけた年もあれば、非常勤しかありつけなかった年もあったという。 苦しい生活が続く中で、10年ほど前に村井さんは教員を辞め、民間企業の契約社員となった。だが、数年前からは再び学校で働くこととなった。生徒たちとの心温まる瞬間を思い出し、ふと「戻りたい」と思ったのだという。 村井さんは現在、3つの高校に勤務し、1日3~4

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    omr14
    omr14 2022/08/01
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